『パッチギ!』井筒和幸 監督独占インタビュー
取材・文:平野敦子 写真:FLIXムービーサイト
大ヒット作『ゲロッパ!』の井筒監督による、1968年の京都を舞台にした愛と感動の青春映画が誕生。日本と在日朝鮮の高校生との激しい対立や恋愛を通して、グループサウンズやフォークが流行し、学生運動が盛り上がりをみせた、はちゃめちゃな”あの時代”のリアルな青春を甦えらせた監督の手腕にうなる。実体験も織り混ぜ、現代にも通じるテーマを掘り下げた切なくもおかしい物語に、観客は泣いて笑って共感すること間違いなし!そんな傑作を撮りあげた監督に、新作に賭ける意気込みについて思う存分語ってもらった。
■社会科の先生になるつもりやった
Q:企画はどれぐらい前からあったんでしょうか?
企画は2年前『ゲロッパ!』を撮っていたときからありましたね。プロデューサーの李さんから松山猛さんの「少年Mのイムジン河」という本を借りたのがきっかけです。だからじつは韓流ブームなんかより『パッチギ!』のほうがずっと先やったんですよ。
Q:監督の説明を聞くと歴史的背景もすんなり頭に入りますね……。
そうやろ! 僕は社会の先生になるつもりやったから、世界史も日本史も詳しいよ。だいたい歴史を知らないヤツが映画監督になんかなったらあかんのですよ。
Q:タイトルの”パッチギ”の意味を教えてください。
映画の中でもケンカのときはがんがんパッチギ(頭突き)しとったでしょう? じつは関西ではもう一つパッチギには意味があってね。頭にソリコミを入れることも”パッチギ”って言うんですよ。大阪のミナミ辺りを歩いてるヤンキーの姉ちゃんとかね、普通に「あの子めっちゃパッチギ入ってるわぁー」とかよう言うてたで(一同爆笑)。けっこう朝鮮語が当たり前のように日常会話で使われていたりするのが関西弁のおもろいとこやねぇ……。
■イムジン河を挟んで北と南に別れた国
Q:この映画では塩谷瞬君演じる康介が朝鮮高校の女の子に恋をして、体当たりで人生にパッチギをかますというわけですね?
そうやねぇ。恋とケンカは青春の象徴ですから(笑)。恋をするには相手のことを知らなあかんからね。そこで彼は初めて朝鮮語や日本の近代史を学ぶわけですよ。僕らが高校生のころは、ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)の「イムジン河」をリアルタイムで聴いたりして、そこから色々と学んだようにね。あれは映画の中でもオダギリジョー君ふんする坂崎が言うように、イムジン河を挟んで北と南に別れた祖国が、いつか一緒になりたいもんやねぇ……という内容の歌なんですが、そういうことを大人たちもきちんと子どもらに教えてくれとったからね。
Q:あの曲が流れるとジーンとして涙が出ました。
もちろんバッチリ観客の泣きどころを狙って作っていますからね(笑)。今あれはそのまんま当時の僕らの青春だったんですよ。鴨川をはさんで日本人の住む場所と、朝鮮人の住む場所はばちっと別れていたしね。日本版「ロミオとジュリエット」の物語とも言える、永遠のテーマですよ。京都出身のみうらじゅんさんなんかも『パッチギ!』を観て、「あれはまさにオレのことですわー!」言うて大泣きしていましたからね(爆笑)。
■「イムジン河」は抗議で発売中止
Q:フォークルの「イムジン河」のレコードは発売中止になったそうですが?
本作の原案である「少年Mのイムジン河」の著者、松山さんがこの歌をフォークルに紹介して、すでにレコード化も決まっていたんですよ。ところが色々と抗議が来たりして、結局レコード会社が直前に発売を中止してしまってね(1968年に発売禁止になった「イムジン河」は、2002年に34年ぶりに発売され、スマッシュヒットを記録)。当時フォークルは「帰って来たヨッパライ」の大ヒットの後で、ものすごいカリスマバンドやったし、非常にラジカルで若者に影響力のあるバンドやったからね。そこでメンバーの加藤和彦さんがその悔しさをぶつけて、「イムジン河」の発売中止の代わりとしてあの「悲しくてやりきれない」という名曲を作ったんです。
Q:劇中に登場する”坂崎”はアルフィーの坂崎幸之助さんがモデルだそうですが。
彼もあの頃「イムジン河」という曲に出会って人生が変わったうちの一人でね。1967、68年というのは非常に大きく世界が変わった時代だったんですよ。当時まだ小学生だった坂崎少年が、早く大人になって自分も学生運動に参加したいと真剣に考えていたぐらいやからね。それがある日少年は「イムジン河」という美しくも物悲しい歌に出会い、心から感銘を受けるわけです。そこで音楽は人の心を大きく揺さぶることができるんだと悟った彼は学生運動もデモ大事やけれど、自分はそれよりも音楽で人々に感動を与えていくんだと決意するんです。そして坂崎さんは音楽の道に進み、今や日本でも有数のギタリストになってしまったんですからね。それはえらいことですよ……。フォークルの「イムジン河」が彼のその後の運命を変えてしまったわけやからね。
■朝鮮戦争ってどういうことや……とか考えてた
Q:監督の青春時代はいかがでしたか?
マッシュルームカットが流行ったり、グループサウンズの”オックス”のファンの女の子らが彼らの曲で失神しまくったりしてたおもろい時代やったね。今のカウンターカルチャーの原型はあの時代にすべてあったんですよ。僕はその頃は男と女のことから政治のことまで何でも知りたい年頃で、つねに安保って何やとか、朝鮮戦争ってどういうことや……とか考えてた、知りたがりの真面目な青年でしたよ(笑)。いや、ほんまの話! 今だってあの頃と何にも状況は変わっていないわけですよ。昨日まで朝鮮人を差別していた人たちが、今日はヨン様に夢中になっている。そんなのどう考えたっておかしいですよ。人間というのは学んで、自分の頭で考えて、前進してなんぼのもんでしょう? だからとりあえずソナチアンも、歴史も何にも知らん若い子らも、とりあえず『パッチギ!』を観てよと。そこで考えたり学んだりしてもらえるということに映画を作る意味があると僕は思っていますからね。
テレビで監督の毒舌ぶりを目の当たりにしていただけに、かなりびくびくしながら取材現場に向かったのだが、実際の監督はサービス精神とホスピタリティにあふれたプロフェッショナルな方だった。取材場所に先に到着して待っていてくれた映画監督など、きっとどこを探しても見つからないだろう。誰も口にできない映画の激辛批評は健在だが、じつはその言葉の裏には愛と真理が隠されているのだ。さすが社会科の先生になろうと思っていただけあって、監督の歴史への造詣は深く、世界を思う気持ちも人一倍強い。”毎日が発見の喜びに満ちた青春や!”と語る監督に、心を奪われない人はいないだろう。とにかくみんな『パッチギ!』を観るべし。観て何を思うかはあなたしだいだ!
『パッチギ!』は1月22日よりシネカノン有楽町にて公開。