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任天堂のゲームに熱中するカリスマ・ゲーマーを描いたドキュメンタリーを撮った男たち

この人の話を聞きたい

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インターネットが無ければ、この映画をどうやって製作していけばよかったのか全く分かりません。現在ほとんどのTV局が、医療薬品会社から資金を供給してもらっている状態で、TVの夜のニュースでこのような宣伝はできなかったと思います。インターネットの発明は、本当に素晴らしいことで、一般の人々の意見が優先される民主主義社会の本来あるべき形態に導いています。-マイケル・ムーア- ~この人の話を聞きたい~その18:任天堂のゲームに熱中するカリスマ・ゲーマーを描いたドキュメンタリーを撮った男たち
1981年に任天堂からアーケードゲームとして登場した「ドンキーコング」。その2年後、ファミリーコンピューターでも登場し、人気を博しました。おそらく小さいころに、テレビ画面を凝視し、ひたすら夢中でやっていた経験のある人には、懐かしく感じるのではないでしょうか。そしてこのゲームで初めて登場したキャラクターのマリオが、後に「スーパーマリオブラザーズ」シリーズとして世界中に爆発的なブームを巻き起こしたのです。もちろんこの騒ぎは、アメリカのオタクたちをも夢中にさせました。それは1982年、アメリカ雑誌「ライフ」が、世界中からより優れたプレーヤーを集め写真撮影を行うほどでした。そこに招待された中の1人に、「ドンキーコング」のスコア世界記録保持者ビリー・ミッチェルがいました。このとき、彼がたたきだした記録は、その後20年もの間破られることはなかったのですが、ついにこの記録に、中学校の科学教師スティーブ・ウィービーが挑みます! 今回は、この夏一番話題になったドキュメンタリー映画『ザ・キング・オブ・コング』(原題)を監督のセス・ゴードンとプロデューサーのエド・カニンガム、そしてプレーヤーであるスティーブ・ウィービーから話を聞いてみました。
マイケル・ムーア
Q: まずは、この映画を製作するに当たって、どういった経緯で企画が進められたのでしょうか?
 
(エド・カニンガム)まず始めに、わたしたちが幸運だったのは、共通の友人を通してスティーブ・ウィービーに出会えたことでした。ちょうどわたしとセスが、映画『ニューヨーク・ドール』を撮り終えて、編集段階に入り、今度の作品をどうしようかと考えていたときに、スティーブに会いました。彼は「ドンキーコング」を熱く語ってくれたうえに、最近のインターネットのゲームの流行が、過去のゲームの達人を再会させる接点にもなっていると話してくれました。そこで我々はネット上などで、ゲーム業界を調査し始めたのです。いろいろ調査し、そしてキャストをどうするか考えたとき、一番最初に出会ったプレーヤーのスティーブがこの映画に適していたんです。
 
(セス・ゴードン)わたしがインターネットでリサーチを始めたとき、子どものころ一番気に入っていたファン・スポット(フロリダ州にある子どものためのテーマパークで、約120台ものゲーム機が置いてあり、ここでよく大きな大会が開かれる)に、スティーブが行く可能性があることを知って、それだけで興奮して乗り気になったんです。この「ドンキーコング」のほかにも、「パックマン」などたくさんゲームがあったんですが、調べていくうちに、だんだんまるで道しるべをたどるように、すべてのゲームが、ビリー・ミッチェルという人物につながっていました。彼は、「パックマン」ではパーフェクトスコアを獲得し、「ドンキーコング」では世界最高記録を持っていたからです。最初にビリーに会ったときに、すぐに気が付いたことは、会話の中で彼は絶対にスティーブと言う名を口に出さないんです。それが、逆に優しさに満ちあふれたスティーブの性格といい意味で対極になると思いました。
Q:映画を観ていると、ビリー・ミッチェルは、カメラが回っていることを楽しんでいるように見えましたが、あなたは撮影に対しての抵抗などはありましたか?
 
(スティーブ・ウィービー)わたしはむしろ撮影を歓迎しました。撮影前には、なかなか自分が出した記録を承認してもらえず、もう止めようかと思っていた時に、彼ら(撮影クルー)がやってきて、わたしの声がほかに届くようにしてくれたんです。
 
Q:あなたはゲーム業界から何を学びましたか?
 
(セス・ゴードン)ビリーやスティーブは、唯一お互いの技術の高さを賞賛できるレベルにあり、そのうえ彼らは、キル・スクリーン(あるステージまで行くと、ゲームを継続できずに終わるステージのこと)まで登り詰めるほどの実力を持っていますが、彼らはお互いを賞賛をせずに、むしろライバルとして意識し合っていることが、面白いところだと思います。
 
Q:この映画の評価は高いと思いますが、ビリーのリアクションはどうですか?
 
(エド・カニンガム)彼はこの映画を嫌悪していて、いまだに観ていないのです。わたしたちは、4、5回観てもらうようにオファーしたのですが、すべて却下されてしまいました。配給会社のピクチャーハウスが、彼の住む近くの映画館で鑑賞させようとしても駄目でした。しかし彼は、この映画がインターネットで騒がれていることは知っていると思います。
 
Q:あなたは、どのような精神状態でゲームにチャレンジしているのですか?
 
(スティーブ・ウィービー)ある程度のレベルまでいくと、プレーしているスピードがリズミカルになり、それをずっと楽しめるんです。そこに達する前は、モノトーンな感じでつまらないものですがプレーしている間は、何が起こるかわからないので、プレーし続けることが大切なんです。カメラの前でプレーすることは、人によって違うでしょうが、わたしのときは、始めのうちは、あまり客が後ろで観ていなかったし、自分自身の思い通りにプレーができました。そして客が入ってからでも、自分の世界に入ってプレーをしていました。また背後の観客の声援がポジティブに感じ、そのお礼として、彼らにキル・スクリーンのステージを見せてやろうとまで思えましたね。
Q: すでに、この映画をドラマという形で、リメークする話が決まり、その作品をあなたが監督すると聞きましたが、その話を聞かせてもらえますか?
 
(セス・ゴードン)映画会社のニューラインシネマの常務にリチャード・ブレナーという方がいます。この方が、このドキュメンタリーを繰り返し鑑賞してくれて、こういった形の素晴らしい機会をおぜん立てしてくれたのです。ピクチャーハウスは、ニューラインシネマの傘下にあって、その関係でリメークの権利を買えたわけです。もちろん、俳優を使ったフィクション・バージョンですが、ほとんどは、このドキュメンタリーを反映したものになるでしょう。
 
Q:この作品に任天堂からのファイナンシャル・サポートは、ありましたか?
 
(エド・カニンガム)ドキュメンタリーの場合は、版権を侵害せずに合理的な方法で撮影できれば問題ないのですが、脚本で書かれている場合は、そういうわけにはいきません。この映画を「ドンキーコング」中心にして撮ると決めたときに、任天堂に電話をしてみたのです。その際に話した代表の方は、後に作品を鑑賞し気に入ってくれました。彼らは、マーケティングの方々と連絡を取り、ゲーム業界にこういう映画があると紹介してくれているみたいです。この映画に関して任天堂からファイナンシャルの面でのサポートはありませんが、今後リメークする際に、任天堂から恩恵を受けたら非常に光栄なことです。


わたし自身、小学生の時に一時期ファミコンをやったことはあったのですが、特別なゲームファンでもないうえ、プレーステーションやWiiなども全く知らないため、この映画を鑑賞する前は、ゲーム業界に対して興味が薄かったのです。しかし鑑賞後にゲームの奥深さを知り、再び少年時代のような気持ちに舞い戻り、少しチャレンジしてみたくなると感じさせてくれた映画でした。
細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。
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