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『モンゴル』浅野忠信 インタビュー

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『モンゴル』浅野忠信 インタビュー

できないとは言わない、とにかく100パーセント頑張る

取材・文:吹田惠子 写真:秋山泰彦

12世紀モンゴルに生まれた一人の少年が、対立を繰り返す部族間の抗争を闘い抜き、一大帝国を築くまでを壮大なスケールで描いた歴史大作『モンゴル』。ロシアの精鋭、セルゲイ・ボドロフ監督が総製作費50億円をかけ、ドイツ、ロシア、カザフスタン、モンゴルの4か国合作で作り上げた叙情詩は、第80回アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされたことでも話題を呼んだ。本作でチンギス・ハーンを演じた浅野忠信が、足掛け2年に渡って行われた撮影の秘話を存分に語ってくれた。

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ロシア人監督が描くチンギス・ハーン

浅野忠信

Q:本作に出演を決めた理由を教えてください。

まずロシア人の監督が、モンゴル人の映画を日本人を使って中国の内モンゴル自治区で撮影するのが面白いと思ったんですよ。それでセルゲイ・ボドロフ監督にお会いして、とてもソフトで魅力的な人だと思って、ぜひ一緒に仕事をしたいと思いました。

Q:ロシア人の監督がどうしてチンギス・ハーンの映画を撮ったのでしょうか?

監督にどうしてかは聞いたことがないんです。監督は出身地がカザフスタンに近いそうなんですが、カザフスタンには顔が日本人とそっくりな人が多い。僕らが思う以上にロシアの人はモンゴルが近い存在なのだろうと思いました。

Q:セルゲイ・ボドロフ監督はどんな人でしたか?

監督は優しすぎるくらい優しくて、現場ではドシンと座って客観的に全体を眺めている人でした。でも、この監督は何かしら形にするなっていう妙なパワーを感じていました。完成した作品を観たときは、すごくきちっとした映画に出来上がっていたので感動しました。たくさんトラブルが起こったあの混沌(こんとん)とした状況の中でも、細かいことに惑わされずに自分の中の何かを静かに突き進めていたんだということがわかったんです。

Q:チンギス・ハーンを演じてみて、彼のどんなところに魅力を感じましたか?

何があってもあきらめずに家族のために生きる、そして自分の周りの人間を血のつながった家族でなくても家族として平等に扱うところですね。テムジン(後にチンギス・ハーンとなる、浅野の演じた役名)にとって親や家族から教わるものがすべてで、それが唯一信じられるもので、その中で自分がどう生きるかを常に考えていたと思う。自分も家族を作って家族に教えてもらったような生き方をしないといけないと思っていたと思うし。僕もこういう風に考えないといけないなと思ったし、男としてあこがれました。

乗馬での撮影ではハプニング満載!

浅野忠信

Q:チンギス・ハーンを演じるにあたってどのような役作りをしたのですか?

監督からは特に細かい演出はありませんでした。僕自身も資料を集めることはしませんでした。台本に書かれている通りに、僕なりに解釈して演じただけです。ただモンゴル語の勉強と馬のけいこは徹底的にやりました。

Q:撮影の直前に脚本が全部変わったというというのは本当ですか?

モンゴル語はセリフを録音してもらったCDを毎日聞いて覚えました。でも撮影開始1週間前に全部変更になった台本が届いて(笑)、もう考えてもしょうがないから、こういうことなんだと思って開き直って覚えるしかなかったです。

Q:乗馬の訓練はどのくらいしたのですか?

日本で乗馬クラブに1年間通いました。そこでは多摩川の川原で野外乗馬をさせてくれるんです。野外で乗るとハプニングがたくさん起こって、それが実際にモンゴルの大平原で乗るときにすごく役に立ちました。

Q:そのおかげで中国に行ってからは馬を問題なく乗りこなせたのですね。

それが中国に行って最初に馬に乗った瞬間、いきなり手綱が切れて馬がめちゃくちゃに暴れて走り回ってしまったんです。日本で「何があっても絶対に手綱だけは放すな」と言われていたのに、その手綱が切れるなんて「一体どうなってるんだ!」と(笑)。その後も先生の馬よりものすごく速く走る馬に乗らされて「お前はテムジンだから一番速い馬なんだ」って(笑)。中国に行ってからは、もう“野性の勘”で乗るしかないぞという感じでした(笑)。

Q:モンゴルの大草原を馬に乗って走るシーンは素晴らしかったです。

撮影が行われた内モンゴルの草原にはモグラの穴があって、それをビュンビュンよけながら乗らないといけなくてもう命がけ(笑)。でもモンゴルの人たちは余裕で手綱から手を離して「アサノ! お前も手を離せ! ほら、鳥! 鳥!」って鳥みたいに両手を広げて乗って見せるから「いやー無理だよ」と(笑)。でも、あの大草原を走って山の頂上まで行って帰ってきたときは、本当に気持ち良かったですね。

多国籍な現場で得た貴重な経験

浅野忠信

Q:13か国のスタッフが結集したという現場はどんな状況でしたか?

最初の年は、韓国のアクションチーム、ドイツのスタイリストとカメラマン、オランダの撮影監督、フランスの録音技師に中国人とモンゴル人のスタッフやエキストラというメンバーで、それぞれが整然と仕事をしていました。それが次の年にはほとんどロシアとカザフスタンのスタッフに変わっていたんです。それでロシアスタイルの現場になって、監督が主導権を持って進んでいったという感じでした。現場では僕にはロシア語の通訳はついていたんですが、中国語の通訳がいないんです。スタッフやエキストラは中国人が多いのに彼らとはまったく言葉が通じないので、アクションシーンでは右なのか左なのかもわからなくて……あれはとても危険でしたね。

Q:モンゴルの人たちと食事に行って歌を歌ったという話を聞きましたが。

彼らと食事に行くと食事の後は絶対に歌わないといけないんですよ。一人ずつ順番にアカペラで歌いました(笑)。「今日の日はさようなら」とかいろんな曲を歌いました。モンゴルの人たちは本当に愛情深い人たちで、でも、早朝に部屋のドアをドンドンたたいて起こされて「アサノさん、アサノさん、メシ行きましょう」って押しかけてきたときは参りました(笑)。

Q:言葉の違いや文化の違いを経験したことで役者として変化はありましたか?

もう何が起こっても、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなりました。日本で大変な撮影が続いても余裕を持って臨めるようになりましたし。それから、役者としてやりたいと思った仕事は、とにかくやることが重要で、できないって言うことはなしにしよう、と覚悟が決まりました。もしこの先イタリア語で演技をしてくれと言われても「大丈夫! 大丈夫!」と言ってやりますし、台本が1週間前に変わっても「大丈夫、大丈夫」って感じで(笑)、何でもできる度胸がつきました。結果的にやるだけやって、みんなが見たときに理想通りじゃないかもしれない。今回もモンゴル語の発音は完ぺきではなかったと思うんですよね。でも役者として100パーセント頑張るから、そこで判断してくれと、そう思えるようになりました。


浅野忠信

地平線まで広がる大草原をチンギスが馬で疾走する姿は、見ているだけで気分がワクワクしてくる。そこまで馬を乗りこなせるようになるまでの苦労を、身振り手振りを交えながら熱く語ってくれた。チンギスの一生には謎が多く、それがさらに後世の人々のロマンをかき立てる。本作では、その空白の期間に彼が獄中で過ごしていた、という大胆な仮説を取り入れている点が興味深い。まさに大きなスクリーンで体感するのにふさわしい、スケールの大きなモンゴルの英雄の一代記だ。

映画『モンゴル』は4月5日より丸の内TOEI1、新宿バルト9ほかにて全国公開

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