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暴力と言ってもいろいろある。それは心理的な圧迫を受けるものや、肉体的に行使されるもの。それには、言葉の暴力によるモラル・ハラスメントから、身体的な家庭内暴力、校内暴力、児童虐待、性的暴行などがあり、さらには国家が権力を振りかざす暴力などもあると思う。だが最近わたしがずっと気になって仕方ないのは、理由のない、ゲーム感覚で行われる暴力である。決して理由のある暴力を認めるわけじゃないが、人と接点がある以上、絶対にありえないこの暴力が頻繁に起きていることである。今回は、そんなゲーム感覚で暴力が行われる映画『ファニー・ゲームズ
U.S.』(原題)を紹介したい。監督は映画『隠された記憶』が、2005年のカンヌ国際映画祭で監督賞などを受賞し、高く評価されているミヒャエル・ハネケ。その彼がわざわざショット・フォー・ショット(まったく同じカット割り)のリメイクをハリウッドで撮った意図は何だったのだろうか? 彼は何故主役にナオミ・ワッツを出演条件に引き受けたのだろうか、彼は一体何を伝えたかったかをニューヨークで聞いてみた。 |
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Q:プロデューサーのクリス・コーエンがあなたにリメイクの話を持ちかけてきた際に、あなたはナオミ・ワッツを出演条件に提示したそうですが、彼女を選択した理由は何ですか?
(ミヒャエル・ハネケ)今度の条件も前の映画『ピアニスト』と同じだったんだ。わたしはあの映画で、主演女優のイザベル・ユペールが出演しなければ撮るつもりはなかったんだ。今回も同じだったよ。ナオミは感受性が強く、もろい人を演じることのできる要素を持ち合わせていて、まさに理想だったんだ。
Q:前作でサディスティク(俳優をある意味極限状態に追い込んでいたため)な演出をしたあなたが、なぜ今回ショット・フォー・ショットの製作を決意したのですか?
(ミヒャエル・ハネケ)逆にショット・フォー・ショットの撮影を決定すること自体は、マゾヒズムなんじゃないかな? 今回はその撮影と決めているわけだから、オリジナルのある個所が気に入らなかったからといって、それをカットする選択ができないんだ。当然、もっと困難な挑戦を要求されるし、映画が成功するように構成する選択さえもできないんだ。何も付け加えたりしないことや、変えないことはまったく不名誉なことだと思う。だが、今回わたしは、そんな違った環境下で同じものに挑戦する賭けをしてみたんだ。
Q:このような同じ撮影方法だと別の意味で、重荷を抱えることになると思いますが、その中で俳優の演出に対して苦労された点は?
(ミヒャエル・ハネケ)初めは、オリジナルと似たような配役にしようと思ったが、彼らは(ナオミ、ティム・ロス、マイケル・ピット、ブラディ・コーベット)オリジナルの俳優とはまったく違っていたし、その点は主要な部分じゃないんだ。わたしは単に、彼らにいい演技をしてもらいたかっただけだ。幸いなことに、彼らほど優れた俳優はそんなにいないと思う。ただ、言語の観点から言えば、結構苦労したんだ。わたしはドイツ語で製作しているときは、雰囲気やあらゆる面に敏感に対応ができる。例えば俳優のアクセントの強弱で、ドイツ語だと強弱が違っていたらすぐに飛んでいって直せるが、英語だと、一応ダイレクト・コーチ(発音を教えてくれる人)が現場に居たけれども、わたしにはアクセントの強弱がなかなか感知できなかったんだ。 |
Q:オリジナルの作品で気付かなかった、新しい発見みたいなものはあったのでしょうか?
(ミヒャエル・ハネケ)もしショット・フォー・ショット撮影ではなくて、オリジナル作品からかなりの月日が流れ、わたしが年を取ったことも考慮に入れたら、恐らくこの映画の1個所か2個所のアングルやシーンを変えるかもしれない。だが、もしこの映画でオリジナルと違う点や月の流れの変化をわたしが見いだしていたら、まったく別の映画を作っていただろう(それだけ彼にとって、月日の変化や観点の違わぬ確固たるものであるらしい)。
Q:人をオモチャのように扱う点や映画内の心理的構成が、スタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』に似ていると思うのですが、あなた自身が影響を受けた監督はいるのでしょうか?
(ミヒャエル・ハネケ)特にいないんだ。もちろん、子どものころにヨーロッパ映画文化で育ったわたしにとっても、学んだ人やあこがれた人はいるが、特定の映画や特定の監督の影響ではないんだ。
Q:カメラ目線で話す俳優や巻き戻しや、観客へのせりふとハリウッドでタブーとされているシーンがかなり映画内にありますが、これはハリウッドへの対立的なものと解釈してよいのでしょうか?
(ミヒャエル・ハネケ)もちろん、挑発的な意味合いを持って製作したよ! それは、ハリウッドお決まりの、観客を喜ばせ、満足させて家路につかせるような観念は、わたしの映画ではすぐに崩壊させられることになる。例えば、動物を傷付けないやり方も、最初に動物を殺してすぐに破られているしね。この映画全体が、そういったハリウッドの幻想を覆しているんだ。 |
Q:この作品は、ある社会の一部を描いたものなのですが、これはあるニュースやストーリーからあなたが影響を受けて製作されたものなのですか?
(ミヒャエル・ハネケ)この映画は特定の出来事に影響を受けたものじゃないんだ。わたしは、この作品の前に映画『ベニーズ・ビデオ』でも、暴力について描いていて、残念ながらあの映画ですべてを言及できなかった気がしたんだ。それをどうやって伝えようかと思ったいたのものが、オリジナルの映画『ファニーゲーム』に凝縮された。そこで、気になった話を紹介したい。ちょうど、このオリジナルの作品が、まだどこにも公開されていなかったときに、ドイツの週刊誌に、この映画内容を思わす皮肉な記事が載っていたんだ。それは、スペインに住むある2人の若者が、道を歩いていた男を家に引きずり込んで拷問死させてしまったことだった。そのうえ、この映画のように白い手袋していたらしい。この若者の1人が残した供述には、フリードリヒ・ニーチェを引用しながら「犠牲者は3流階級の人間だから、生きる価値のない人間だ」と殺したことをまったく後悔してなかったらしい。これは恐ろしいことに、事実は小説よりも奇なりということなんだ。
Q:この映画に対してのアメリカの反応は、どうなると思いますか? それと次回作についても教えて頂けますか?
(ミヒャエル・ハネケ)彼らには、顔に一発平手を食らった感覚にしたいんだ。そうなるといいけれどね。次回作は、歴史を題材にした映画で、第一次世界大戦前のドイツの教育を描いている。その子供どもたちが、後のナチスの世代に当たるわけだけどね。 |
わたしがこの映画のオリジナルを観たときは、かなりの衝撃だった。恐らく人によっては、堪え難い苦痛な時間を味わうかもしれない。だが暴力とは、そういうものなのである。そのため、この映画が暴力というものに対して真摯(しんし)に向き合った作品であることは間違いない。この一本がきっとあなたにとって忘れられないものになり、暴力に対して熟考させられる映画になるかもしれない。 |
細木プロフィール 海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。 |
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