アントニオ猪木映画初主演! 伝説検証、自らを語る
アントニオ猪木映画初主演!伝説検証、自らを語る
1976年の歴史的な試合モハメド・アリ戦をはじめ、プロレス界においてさまざまな伝説を築いてきたアントニオ猪木。作家、ミュージシャン、映画監督など幅広い分野で活躍する才人・辻仁成がメガホンを取った映画『ACACIA-アカシア-』で映画主演デビューを飾った彼の伝説を検証すべく、本人に突撃インタビューを敢行! アッと驚くデビュー秘話から知られざる私生活まで、猪木のすべてを明かします。
本作で幼い息子を亡くした過去を持つ元覆面レスラー、大魔神を演じている猪木さん。実は彼自身も過去に愛娘を亡くしており、子どもを思って号泣するシーンでは、カットがかかったあとも涙が止まらなかったとか。そんな子煩悩な彼はのちに、アメリカのアイビー・リーグの名門私立大学に通っている長男の教育方針を執筆した著書も出版し、注目を集めました。大魔神が、孤独な少年タクロウと親子のようなきずなを育むシーンには、思わずウルウル……。彼のよき父親としての一面を垣間見た気がします。
A
林くんは、人なつっこい子だったね! もっとプロレスの大技を教えてあげたかったなあ。子どもは大好きなんだよ。あんまり外で言うと怒られちゃうんだけど、うちの息子はアメリカのコロンビア大学に通っているよ。ただ、子育てというか教育に関しては、基本的にかみさん任せです(笑)。アメリカは、大学の学費が高くて大変だ!
心優しい元プロレスラーの老人が、親の愛情を知らない少年と、ひと夏を共に過ごし、それぞれが現実と向き合う勇気を育てていく姿を描いた本作で、猪木さんは映画初出演とは思えない名演技を披露しています。さらに、劇中には一人でプロレスをとるという、猪木ファンなら垂ぜんモノのシーンも登場! 撮影現場ではスタッフを和ませるムードメーカーでもあったといいますから、すっかり映画づくりの面白さに魅了されたようです。
本人に直撃!
Q
映画初主演にして息子を亡くしたトラウマと戦い続けるという複雑な役どころでしたが、初めての撮影現場はいかがでしたか?
A
現場は結構ピリピリしちゃってたから、みんながリラックスできるように、よく冗談を言っていたよ。何もかもが初めての経験だったけど、面白かったね。本当は映画でプロレスをやることには抵抗があったんだけど、ストーリーを聞いて、脚本を読んで共感できたから引き受けることにしたんだよ。
1960年にプロレスラーとしてデビュー。1972年に新日本プロレスを旗揚げし、プロレス人気に貢献し続けた猪木さんが、38年間のレスラー生活に幕を下ろしたのは1998年4月4日のことでした。彼は現役を退いた今もなお、衰退していくプロレスを再び盛り上げようと、2007年に新団体IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を設立し、人生のすべてをプロレスにささげています。そんな彼の才能を最初に発掘したのは、何と昭和プロレス史に残る名レスラー力道山! なんとも運命的な出会いですね。
本人に直撃!
Q
今年、日本人として初となるWWE(アメリカのプロレス団体)の殿堂入りを果たされ、デビュー50周年を迎えますが、デビュー当時の思い出をお聞かせください。
A
13歳のときに家族でブラジルに渡ることになってね。プロレスラーに成りたいという夢と一緒に、僕は地球の裏側に行っちゃったの。それが、ある日、ブラジル遠征に来てた力道山が僕を探しているって聞いて……。ホテルの一室で会ってすぐに「日本に来い」って言われた。それでプロレスラーになったんだよ。彼がいなかったら、今の僕はないだろうね。