『最後の忠臣蔵』佐藤浩市 単独インタビュー
時代劇の心はきっと、老若男女問わずDNAに入っている
取材・文:シネマトゥデイ 写真:吉岡希鼓斗
池宮彰一郎の時代小説を、「北の国から」シリーズの演出を手掛けた杉田成道がメガホンを取り映画化した、注目の時代劇『最後の忠臣蔵』。討ち入り前夜にとある秘密を抱えて逃亡した、役所広司演じる瀬尾孫左衛門の生きざまを中心に、討ち入りで生き残った男二人の過酷な人生を描く。本作で、孫左衛門の親友であり、残された赤穂浪士の家族に討ち入りの様子を伝えながら生きる、寺坂吉右衛門を演じた佐藤浩市が、作品の魅力、そして約30年もの間けん引し続けている、日本映画への熱き思いを語った。
ラストシーンをモチベーションに役を構築した
Q:佐藤さんが演じられた吉右衛門はどんな男だと思いましたか?
どちらかというと吉右衛門は、生かされていることに対してしんどくなっている男だと思います。つまり、「生かされている」という生の中に彼の意思はない。死に損なってしまったという陰を背負った男として演じました。行く先々で裏切り者と言われるたびに、「お話しなければなりませんな」と説明する。でもその説明は、彼にとってすごくアイロニカル(皮肉っぽい)なんです。説明することが「生きる」ことの肯定ではなく、「生かされている」ことの肯定なのです。そういうアイロニカルな思いで語っている人物像にしたいと思いました。
Q:そんな吉右衛門のラストシーンには、きっと多くの方が涙すると思います。
今回の役は、あのラストシーンをモチベーションに作らせてもらいました。きっと孫左衛門は、吉右衛門と唯一の共通言語を持っている人間。それはお互い、口にはせず、腹の中に留めている関係なんです。まして孫左衛門は、周囲から逃げ出したと思われている。そういう人間が生きていることによって、吉右衛門の生きることへのともしびが、ちょっとだけ明るくなったのです。
Q:これまでたくさんの「忠臣蔵」映画が作られてきましたが、この物語が愛される理由は何だと思いますか?
やっぱり年末にふさわしいっていうのがありますよね(笑)。サスペンス要素がドラマを盛り上げて、最後に討ち入りを果たす達成感もある。全員が腹を切るという、日本らしい義の心やいさぎよさが、愛される理由なんでしょうね。
役所さんとの共演は大きな財産
Q:杉田監督との仕事はいかがでしたか?
今回、話の中心がなぜ孫左衛門だったかというと、杉田さんがやりたかったことが、孫左衛門と大石内蔵助の隠し子・可音のインモラルな関係性を描くことだったと思うんです。そして男同士の友情も入っている。監督のチェックが入った脚本を読んでも、そういうところを描きたいんだなっていうのが伝わってきましたね。女性にも観やすい映画になったと思います。
Q:人形浄瑠璃のシーンはとても印象的でした。
あれは「曽根崎心中」を扱っていて、孫左衛門が自分の軸がブレる瞬間を自分で感じ取ったがために、あのラストシーンへつながる。そのために、浄瑠璃のシーンが強調されたのではないかと思います。
Q:役所さんとの共演はいかがでしたか?
役所さんとは何度か共演していますが、ここまでしっかりと絡んだのは初めてでした。だからすごく楽しみだったし、現場もすごく楽しかった。日本映画の重鎮、役所さんとお芝居ができたことは、大きな財産になりましたね。
Q:可音役の桜庭ななみさんも、とても初々しかったですね!
彼女が持っているホンワカとした空気感が、とても救いになっていましたね。キリッとしたタイプの女優さんが可音を演じていたら、またニュアンスも変わってきたでしょう。どちらかといえばちょっと陰鬱(いんうつ)な話だけれど、彼女の存在がそれを和らげたと思います。
時代劇の心は、老若男女問わずDNAのどこかに入っている
Q:本作は、時代劇の本場・京都で撮影されたそうですね。やっぱり、京都の撮影所は特別なところですか?
京都の撮影所では、美術部の末端まで、皆が時代劇をちゃんとわかっている。それは東京の若いスタッフにはない知識だし、知識があるからこそ、助監督でも何でも、皆がお互いの意見を言い合えるんですよね。言葉遣い一つ取っても「これは言わないな」とか、ちゃんとわかっていますからね。殺陣でも、ずっと斬(き)られ役をやってきた人たちだから、やっぱり違います。
Q:映画『ラスト サムライ』にも出演された、殺陣師の福本清三さんも出演されていましたね!
福本さんは、30年前に僕が初めて京都に行ったときからバリバリ殺陣をやっていらっしゃる方で、今60代後半。もう何かあったらどうしようって、見ているこっちが怖くて、ビクビクしちゃいました(笑)。
Q:時代劇の魅力はどこにあると思いますか?
形もあるし、形と共にメンタリティーが常にあるということではないでしょうか。どんなにハチャメチャな時代劇でも、やっぱり武士道や侍というメンタリティーは同じだし、市川崑監督が形を崩した時代劇を作ったとしても、核となるのは日本人の心。だから、今皆さんが観て楽しまれている時代劇の心というのは、現代の日本にはもうないものなんです。ないものだけど、日本人としてその心は否定できない。時代劇の心というのはきっと、老若男女問わずDNAのどこかに入っているものなのでしょうね。
今、時代劇を演じると、昔と違うカタルシスがある
Q:佐藤さんご自身、役者として約30年の時が過ぎましたが、振り返ってみていかがですか?
若いころは、形に押し込められる時代劇というものが好きじゃなかったのですが、今は昔と違うカタルシスがあります。昔は、一生懸命役に成り切ろうと無理なアプローチをしたこともありました。でもブレないものが一つだけあって、それはうそをつきたくないということだった。だから若いころは、できるだけ自分が感じたこと、思ったことをはっきり言うようにしていました。今は、監督の希望通りに演じようと変わってきたけれど、そこにうそがあってはいけない。演出家に言われたことを正直に表現するために、どういう道筋を作っていけばいいだろうというのは常に考えています。
Q:現場ではたくさん発言されますか?
30年近くこの世界にお世話になっているので、自分の知っていることはその場の空気が許してくれるのであれば、話すようにしていますね。同年代の中井貴一なんかとも、そういうふうにしていきたいねと言っています。まあ、それがウザいと思われちゃうかもしれないんですけどね(笑)。
Q:これからの日本映画界に期待することはありますか?
期待はないなあ(笑)。昔に戻る必要はないのだけど、変わっていくことにどこかで誰かがストップをかけて、日本映画が向かっている方向はこれでいいのだろうかと、考える時間を持つことができればいいと思います。当然フィルムではなくなってきているし、その中で変わっていくことがあると思うんです。エンターテインメントを目指す人や、そうじゃなくて基本に立ち返る人たちもいる。そのどちらかに片寄るのが一番怖いですね。期待はないけど、「これで良かったのかな」って言える人たちがいてほしいと思います。
1981年に銀幕デビューして以来、日本映画界のトップで活躍し続けてきた佐藤の言葉からは、役者という仕事への大きな愛情が伝わってきた。撮影現場で厳しい指導を受けてきた佐藤だからこそ、今の日本映画界にも厳しい言葉が掛けられるのではないだろうか。本作でも、役所広司と共に魂のこもった演技を見せてくれた佐藤。シーンの一つ一つから男の悲哀が感じられる、静かながらも情熱的な演技を観れば、彼の映画に懸ける思いがひしひしと伝わってくるはずだ。
(C) 2010「最後の忠臣蔵」製作委員会
『最後の忠臣蔵』は12月18日より全国公開