アジア映画界の“今”が丸わかり!大阪アジアン映画祭(日本)【第45回】
ぐるっと!世界の映画祭
アジア各国の話題作をいち早く紹介する大阪アジアン映画祭(以下、OAFF。主催・大阪映像文化振興事業実行委員会)。香港映画や韓流ブームがひと段落し、日本での劇場公開が減少している今、アジアファンの欲求を満たしてくれる貴重な場ともなっています。東南アジア映画界の活性も相まって、ますます注目が高まっている同映画祭の第11回大会(2016年3月4日~13日)を映画ジャーナリスト・中山治美がリポートします。(写真・文・取材:中山治美 写真:大阪アジアン映画祭)
『セデック・バレ』で知名度UP
前身は、韓国映画にスポットがあたりはじめた2005年12月に開催された「韓国エンタテインメント映画祭2005」。その規模を東アジアへと拡大し、姉妹港である釜山や、姉妹都市の上海にも匹敵するようなアジアのポップカルチャー発信都市を目指して2006年にスタート。第4回からは、東京国際映画祭「アジアの風」部門の元プログラマーだった映画評論家・暉峻創三氏がプログラミング・ディレクターに就任し、パワーアップした。
中でも第7回の時、台湾映画『セデック・バレ』(2011)を上映して大きな話題に。同作は抗日暴動・霧社事件を扱っていたために台湾で大ヒットしながら日本上映がなかなか実現しなかった。その問題作を選出しただけでなく、台湾以外の映画祭などで上映されていたインターナショナル版(短縮版)ではない、2部作・計4時間半の台湾オリジナル版での上映を英断。結果、観客賞を受賞したのに加え、日本公開へと漕ぎ着けた。「おかげでOAFFの知名度が海外で高まり、進んで出品してくれるアジアの映画会社が増えました」(暉峻氏)。
第9回グランプリのフィリピン映画『SHIFT ~恋よりも強いミカタ~』(シージ・レデスマ監督)、同観客賞の台湾映画『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』(マー・ジーシアン監督)、第10回でグランプリと観客賞をW受賞した台湾映画『コードネームは孫中山』(イー・ツーイェン監督)、そして第11回で観客賞を受賞した台湾のドキュメンタリー映画『湾生回家(わんせいかいか)』(ホァン・ミンチェン監督)がOAFFを経て日本公開と、良い波が続いている。
アジア映画界の動向丸わかり
第11回はコンペティション部門、特別招待作品、特集企画、そして新鋭監督やCO2(シネアスト・オーガニゼーション大阪)助成作品を集めたインディ・フォーラム部門に分かれ、上映作品は過去最多の55作品。全体的に日本とアジアを結ぶ作品が選出されており、第11回は韓国女優キム・コッピが出演した犬童一利監督『つむぐもの』がコンペに。セクシー女優陣のアジア進出の勢いを象徴する、西野翔出演の『部屋のなかで』(エリック・クー監督。シンガポール・香港合作)も日本初上映された。「日本と関係性のある作品は、お客さんにとっても観賞しようという一つのフックになりうる」(暉峻氏)。
そして、毎回ユニークな作品が並ぶ特集企画が魅力的。第11回の特集企画は4本。台湾金馬奨50周年記念ドキュメンタリー『あの頃、この時』(2014)など台湾の“今”を映し出す6作品を集めた「台湾:電影ルネッサンス2016」。第10回に続き、東南アジアの映画に焦点を合わせた「ニューアクション! サウスイースト」。昨今、活況を見せるベトナムに注目した「刷新と乱れ咲き ベトナム・シネマのここ数年」。そして、香港特別行政区政府駐東京経済貿易代表部の協力を得て、監督や俳優陣が一同に会するセレモニー「HONG KONG NIGHT」も行われる「Special Focus on Hong Kong 2016」。ベトナムの興行記録を塗り替えた『ベトナムの怪しい彼女』(2015)を筆頭に、各国で今、最も大衆をアツくさせている作品の海外初上映も多く、映画祭スタッフの尽力ぶりが伺える。
「プログラマーとしては、国単位の特集は一番簡単で、その国のしかるべき機関に企画書を提出すれば助成などの支援も得やすい。東京国際映画祭やアジアフォーカス・福岡国際映画祭が国別の特集を行っていることもあり、それらとは違う特集の組み方も意識しています。ただベトナムに関しては、現状としてここほど激変している国はないと感じていました。これまでは元社会主義国家を感じさせる作品しかなかったけど、米国に移民した家族の子供世代が母国に戻ってきて活況を与え、商業的にも自立しています。韓国との合作で製作された『ベトナムの怪しい彼女』なんて、同国での『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の興行1位スタートを阻止しましたからね。その勢いを感じてか、日本の配給会社CURIOUSCOPE(キュリオスコープ)(東京・渋谷)が『超人X.』(2015)、『レディ・アサシン 美人計』(2013)と2本も買い付けていた。そういう動きが日本の民間企業でもあるのなら、このタイミングで特集を組むべきだろうと思いました」(暉峻氏)。
香港映画『十年』(クォック・ジョン、ウォン・フェイパン、ジェヴォンズ・アウ、キウィ・チョウ、ン・ガーリョン監督)はOAFF後に行われた香港版アカデミー賞こと第35回香港電影金像奨で最優秀作品賞を受賞した。香港返還から10年以上が経ち、雨傘運動が起こるなど沸き起こってきた問題点を描いており、中国では“思想的危険物”として上映禁止に。金像奨の授賞式のテレビとネット中継も取り消されてしまったという、まさに問題作だ。
「意図して選んだわけではないのですが、今回の特集で上映した香港映画はいずれも、返還前の香港への懐かしい気持ち、対して現在がいかに希望が無くなってきているかが滲み出ていました。それを象徴するかのように、香港俳優チャップマン・トーがシンガポール・マレーシア合作で製作した『ご飯だ!』(2016)や、『男たちの挽歌』シリーズのティ・ロンは、マレーシア映画『わたし、ニューヨーク育ち』(2015)で主演と、香港映画人が東南アジアでの活動を積極的に行っており、新たな展開を感じます」(暉峻氏)。
映画は社会の鏡。アジア情勢を知りたければ、その国の映画を探れ! なのだ。
年間通じてファンを育成
OAFFでは年間を通じての活動も行っている。一つは、2008年から開催されている映画字幕翻訳講座。2015年は大阪大学箕面キャンパスで、字幕翻訳家・間渕康子さんと字幕制作者の堀三郎さんを講師に招いた。今年はここで学んだボランティアスタッフが、コンペ部門の香港・米国合作映画『香港はもう明日』(2015)の字幕翻訳を手がけたという。
もう一つが、暉峻氏自身がアジア映画の歴史やトレンドを語る月1回・計6回の連続ゼミナールだ。「このゼミは、映画祭のコアなファン層を育む狙いがあります。一方で、ファンの方と触れ合うことで、みなさんが今、どのような俳優や作品に関心を持っているかのセレクションの参考にもなります。結果、ラインナップを発表すると、ゼミ生は僕がどういう狙いで作品を選んだのかを熟知していますので宣伝役にもなってくれており、様々な相乗効果を得られていると実感します」(暉峻氏)。
OAFFの作品のほとんどは、日本では無名の監督や俳優の作品ばかりだが、それでも客席が埋まるのはこうした固定ファンを獲得しているからのようだ。
散らばる会場
今年のオープニングは梅田ブルク7。以降、主な上映会場はシネ・リーブル梅田、十三の第七藝術劇場、福島・ABCホールと北大阪に集中しているとはいえ広範囲。各会場間の移動に電車や徒歩で20~30分を要することからハシゴ観賞は困難。止むを得ずタクシーを利用する観客も多かった。「大阪のタクシー運転手の間ではOAFFは妙に知られる存在となりましたが(苦笑)。以前、2年間ほどシャトルバスを用意したことはありますが、各会場とも100人程度の観客なので利用者が少なく廃止しました」(暉峻氏)。
おかげで健脚になることと、開発の進む梅田&福島、ディープな街・十三と全く異なる大阪の表情を見ることができるというメリットもある。
また上映間隔が短いため、続けて観賞する観客にとっては食事をいつとるかも悩みの種だった。そこでABCホール前のウッドデッキで後半3日間のみ、シネマルシェ(露店)が登場。カレーやマフィンなどの軽食から、畳敷きでお茶を楽しめる空間まで。休憩に最適で、クロージング作品『モヒカン故郷に帰る』の上映前、沖田修一監督がひょっこりコーヒーを飲みにくる場面もあった。欲を言えば、テーブルや椅子の用意も欲しかったが、映画祭参加者を悩ます食環境に配慮があったのは一歩前進とも言えるだろう。
OAFFから世界へ!
OAFFの賞は、グランプリはもちろん、アジア映画の未来を担う逸材に贈られる「来るべき才能賞」、朝日放送での放映を前提とした「ABC賞」と、次につながる展開を考慮している。そこに第11回で新たに加わったのが、米国ニューヨークで開催されている日本映画祭「ジャパン・カッツ!」を主催している団体から贈られるJAPAN CUTS Award。これはインディ・フォーラム部門の日本映画が対象となり、記念すべき1回目は福岡県大川市の協力で製作された完山京洪監督『想い出の中で』(2015)が受賞した。CO2事業は第7回からOAFFに統合されてインディ・フォーラム部門となったが、まだOAFF全体から考えると存在感が弱い。そこで部門への注目度を高めるだけでなく、ここからジャパン・カッツ! で上映される道筋を作り海外進出を狙って欲しいという、OAFFから日本の自主製作者たちへの願いも込められている。
「ここ数年、海外からのゲストも増えています。彼らにとっては、その映画祭がどれだけ地元の映画界と密接に連動しているかがポイントとなります。釜山国際映画祭の急成長は、韓国映画界の躍進が大きく影響しています。いま、日本映画界がどれだけの可能性を秘めているのか未知数ではありますが、OAFFから発信できる準備は整えておきたいと思っています」(暉峻氏)。
個人的には、2012年の第7回から第10回まで行われていた震災映画特集とシンポジウムが行われなかったことが残念。できれば節目の時にでも、東日本大震災と阪神・淡路大震災を振り返るOAFFならではの企画を期待したい。