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「オリエント急行殺人事件」最高傑作は?「名探偵ポワロ」から三谷幸喜のSPまで

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名探偵ポワロ
名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」(2010)AGATHA CHRISTIE(R) POIROT(R) Copyright (c) 2009-2010 Agatha Christie Limited (a Chorion company). All Rights Reserved. Licensed by ITV Studios Global Entertainment. All Rights Reserved.

 アガサ・クリスティーの「オリエント急行の殺人」は、あまりにも有名なミステリーの金字塔。ケネス・ブラナー版『オリエント急行殺人事件』(12月8日公開)を楽しみにしている人も多いに違いない。これまでに何度も映像化されているし、ラストを知る人も多いだろうが、原作をいかにアップデートさせるか、作り手のビジョンをどう反映させているのかの違いを比較してみると、また新たな発見も。なかでも「こんな解釈があるのか!」と感動を覚えたのが、デヴィッド・スーシェ主演のイギリスの長寿ドラマ「名探偵ポワロ」(1989~2013)の「オリエント急行の殺人」(2010・以下スーシェ版と表記)である。

※以下の文章には原作及びシドニー・ルメット監督の1974年の映画版、デヴィッド・スーシェ主演のドラマ版、三谷幸喜脚本のスペシャルドラマ版の結末を含むネタバレがあります。

 中東での仕事を終えたポアロが連絡船で移動し、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行へ。帰途に就く中、列車内でアメリカの富豪ラチェットの死体が寝室で発見される。刃物で全身12カ所を刺されるという異常な殺害方法。ユーゴスラビアで積雪により立ち往生する列車内で、名探偵エルキュール・ポアロは謎解きに乗り出すというのが大筋だ。ラストでは、数年前に富豪アームスロトロング家を襲った悲劇的な事件の関係者(乗員乗客)による犯人への復讐と、外部の犯行という2つの説がポアロによって提示される。後者の結末で終わるのはルメット版、スーシェ版、三谷版も原作に同じであるが、正義をなすための私的な復讐をどう解釈するかで、全体のトーンがガラリと変わるのがスーシェ版である。

 まず1934年に発表された原作。これはクリスティーの愛読者なら迷うことはないだろうが、法の裁きを逃れた犯罪者を罰したいとする著者の考え方(そこには皮肉もある)は、「そして誰もいなくなった」ほか他の作品にも顕著だ。ラストでポアロは最初にギャング説を披露し、それはあり得ないという医師やポアロと旧知のブークらは反論。対して、ポアロはもう一つの説=真実を話すと、あっさりとギャング説を選択することで満場一致となる。それほどまでに犯人は殺されて当然の悪人だということは何度も強調されているし、被害者の苦しみは計り知れない。ポアロに迷いはなく、心は決まっていたものと考えられる。

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オリエント急行殺人事件
シドニー・ルメット監督版『オリエント急行殺人事件』(1974)Paramount Pictures / Photofest /ゲッティイメージズ

 時を経て、1974年のシドニー・ルメット監督版は、原作に比べるとハリウッド大作らしい楽観ムードが楽しい作品だ(詳しくは名画プレイバックのレビューを参照)。大スターの共演に、優雅で豪華なオリエント急行の旅の様子もノスタルジーと憧れを掻き立てる。ポアロ(アルバート・フィニー)は冒頭から自信満々の名探偵で、コーヒーにケチをつけたりと美食家ぶりを発揮し、冒頭の見送りにきた男性とのちょっとしたやりとりなど、原作にもある部分を誇張・拡大解釈したコミカルな要素も生きている。大きく違うのは、しょっぱなでアームストロング事件の概要を観客に伝えている点。これによって、以降に起こるラチェット殺害事件とアームストロング事件がどう関わるのかということを観客は推理しながら映画を観ることになる。ルメットはテレビでも活躍した人だから分かりやすさにも、こうしたミステリーの要素で観客を引っ張る演出には長けている。何より錚々たる俳優陣の捌き方は抜群にうまい。キャラの立たせ方としては、これを超えるのは難しいのではないだろうか。

オリエント急行殺人事件
三谷幸喜脚本版スペシャルドラマ「オリエント急行殺人事件 DVD-BOX」価格:¥7,600+税 発売元:フジテレビジョン 販売元:ポニーキャニオン (C)2015 フジテレビ

 事件は陰惨だが重くなりすぎないルメット版は、ある意味で世間一般のポアロのイメージの代表のようにも思う。この楽観ムードからすれば、続くピーター・ユスティノフが演じた愛すべき陽性のポアロ像も納得がいくものだ。2015年に放送された三谷幸喜版「オリエント急行殺人事件」はコメディー色が強く、その究極版と言えるかもしれない。同時に「情に訴える」展開のかつてないほどのベタさも、おかしみの中にホロリを誘う点に日本版らしさがある(車掌役の西田敏行のお涙頂戴節はさすが!)。野村萬斎の作り込み過ぎな名探偵・勝呂武尊(ポアロに当たる)に最初は腰が引けたが、何度か観るうちに細部まで気の利いた脚本が面白く、犯人たちが集まって「証拠が多すぎる」とモメるシーンなど思わず吹き出してしまう場面も。ラストは勝呂が説得される形を取るが、「これは勝呂武尊が解決できなかった初めての事件。しかし、これほど誇らしいことはない」と締めくくる晴れやかさ。

 対局にあるのがスーシェ版である。1989年に始まり13シーズンにわたって全70話で終了した本シリーズ。「オリエント急行の殺人」は原作出版から75年を記念し、本国ではシーズン12の最終話として2010年に満を持して放送された。結論から言うと、スーシェ版でもポアロはラストでギャング犯人説を選択するが、これはポアロにとって生涯で最大の挫折ともいうべき悲痛で苦い後味を残す。監督のフィリップ・マーティンは、ベネディクト・カンバーバッチ主演のBBCのテレビ映画「ホーキング」(2004)や、Netflixの「ザ・クラウン」(2016~)、ケネス・ブラナー主演の「刑事ヴァランダー」(2008~)といった秀作ドラマのエピソード監督を手がけているベテラン。終始、不安を掻き立てるような音楽が嫌な予感を倍増させ、これから起こる事件を多くの視聴者は知っているが、それとは別の重苦しさと緊迫感が立ち込める冒頭から魅了される。「名探偵ポワロ」シリーズでは唯一となる本作の監督に抜擢されたのもうなずける。

 前振りとして、冒頭がどう始まるかはブラナー版の新作でも注目したいところ。スーシェ版では、ポアロがたたみかけるような口調で鮮やかに事件を解決し、犯人が目の前で自殺して幕を閉じる(原作では曖昧な描写がなされている)。その後、旅立つポアロを仕事として見送りに来た男性は、「(自殺した)中尉が一度の過ちで支払った代償は大きい。今回の事件は善人が犯した判断ミスであり、ポアロによって追い詰められ、逃げ場を失って自殺した」と明らかに非難する。さらに、イスタンブールに移動したポアロは、街で姦淫の罪で女性が民衆に引きずられて、石打ちの刑(名誉の殺人)を受ける場面に出くわす。後にオリエント急行で再会するメアリー・デベナムもその場に居合わせ、なんとか止めようと必死になるがどうにもならないという描写がある。この二つのオリジナルのエピソードは、法を守ることを何よりも重んじ、名推理で犯罪を暴き、犯人に法の裁きを受けさせてきたポアロの信念に影を落とすものだ。

オリエント急行殺人事件
名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」(2010)AGATHA CHRISTIE(R) POIROT(R) Copyright (c) 2009-2010 Agatha Christie Limited (a Chorion company). All Rights Reserved. Licensed by ITV Studios Global Entertainment. All Rights Reserved.

 ポアロはオリエント急行でメアリーに再会した際、「正義は直視しにくい場合もある」「あの女性は罪を承知で掟を破った」と正論をぶつが、メアリーは憤然として立ち去る。さらに、ポアロは乗客の女性グレタ・オルソンとすれ違った際に「エルキュール・ポアロです」と、当然相手が自分の高名を鼻にかける感じで名乗るがスルーされてしまう。ポアロの信念に真っ向から反論する者があり、誰もが知っているはずのポアロの名声を知らない者がいる。さらに、極悪非道なラチェットもまた老いから弱気になっているのか本心なのか、神にゆるしを乞い、贖罪という概念がちらつくのも原作とは異なる。

 ルメット版でも登場人物が「神のゆるし」を乞う描写が何度も登場するが、スーシェ版では信仰、贖罪といった概念はより一層重要な要素だ。ポアロもまた信仰を重んじ、ラチェットが法の裁きを受けることなく逃れたとしても「神の裁きに委ねるべき」だと主張する。人々が勝手に隣人を裁いていた時代に戻ってはいけない、法律が守られるよう見張ることが自らの使命と信じて声を荒げるが、「罪を裁くのは罪ではない。わたしたちは正義をなした」と返すメアリーの心の叫びをポアロは完全に否定することができない。このポアロとメアリーの激しいやり取りは本作の白眉でもある(メアリー役のジェシカ・チャステインが素晴らしい!)。

 心情は察するにあまりある報復殺人を見逃すのか否か。劇中ではラチェット殺しが、処刑であることを本人に知らしめるため覚醒させた状態で犯行に及んでいるなど、より残酷度が増した描写も加えられているので視聴者の心も揺れ動く。現代のエンタメでも法と正義をめぐる問題は永遠のテーマと言えるが、スーシェ版ではがっつりとこの問題に踏み込んだ大胆な翻案がなされているのだ。脚本を手がけたスチュワート・ハートコートは、最近ではローワン・アトキンソン主演のドラマ「メグレ(原題)/ MAIGRET」でも気を吐いているが、本作でも良い仕事をしている。

オリエント急行殺人事件
ケネス・ブラナー監督版『オリエント急行殺人事件』(2017)(12月8日公開)(C) 2017Twentieth Century Fox Film Corporation

 ある意味で、本作の結末はポアロの敗北なのだ。原作原理主義の方には向かないかもしれないが、現代にマッチした翻案として、これほど優れたものはないとわたしは思う。パソコンを使う名探偵をアルフレッド・モリナが演じたテレビ映画「オリエント急行殺人事件 ~死の片道切符~」(2001)は、残念ながら物語をアップデートさせるという意味を履き違えている典型。新作のブラナー版では、原作通りに明快大団円で幕を閉じるのか、オリジナルの視点があるのか。好みは分かれると思うが、解釈の違いを比較してみるのも一興だ。

 ポアロ役のデヴィッド・スーシェの名演ぶりは説明する間でもなく、他の追随を許さない最高峰である。「オリエント急行の殺人」でのスーシェは、ユーモアのセンスは控えめで(食事の席で2つの卵の大きさが同じか確認するなどのお約束描写はあるが)、年を取ったポアロの顔に刻まれた疲労と苦悩は色濃く悲しみに満ちている。その佇まいだけで、それまで長きに渡って「名探偵ポワロ」を見続けてきたファンにとっては心痛を覚えるほど。事件の核心に迫るにつれて重苦しさと悲痛さが増し、殺人を見逃すのか否かの葛藤を伝えるスーシェの名演にはただただ感動を覚える。さらに言うと、本作はシリーズの最終話「カーテン~ポワロ最後の事件~」のテーマと直結している。老いたポアロと親友ヘイスティングス大尉が久々に再会を果たすが、弱々しく自慢の推理力も衰えたかのようなポアロが人生最後の殺人事件にどう立ち向かうのか。この最終話を見て改めて「オリエント急行の殺人」を振り返ると、冒頭で事件を解決した瞬間こそがポアロのキャリアの頂点であったのかと思えて、より一層の悲しみを覚えるのだ。

「名探偵ポアロ オリエント急行の殺人」(原題:Agatha Christie's Poirot Murder on the Orient Express)
100点
ミステリー ★★★★★
サスペンス ★★★★★
社会派 ★★☆☆☆

視聴方法:

オリエント急行殺人事件

「名探偵ポワロ ニュー・シーズン DVD-BOX 4」第47巻に収録(価格:14,000円+税 販売元:ハピネット)
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今祥枝(いま・さちえ)映画・海外ドラマライター。「日経エンタテインメント!」「女性自身」などで連載。当サイトでは名画プレイバックを担当。作品のセレクトは5点満点で3点以上が目安にしています。Twitter @SachieIma

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