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失われつつある感性を伝える名画座! - 池袋・新文芸坐

ラジカル鈴木の味わい名画座探訪記

 リビドーとB級グルメの聖地、青春の地・池袋。1986年から1990年、20~24才の多感な4年間、西口から徒歩7分の所に住んでいた。東口の旧文芸坐、文芸坐2は、駅地下を通過し伝説の“すなっくらんど”で腹ごしらえし、足しげく通った。すでにフリーランスだったけどヒマで入り浸り、2本立てを観て外に出るとだいたい夜だった。週末はオールナイトもよく観た。朝日の中の疲労と充実感は今も鮮明に。僕の名画座体験はここから。

■今月の名画座「新文芸坐」

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 ターミナル駅の池袋、東口からたったの徒歩約3分。風俗街の真只中。1956年作家の三角寛が「人世坐」の姉妹館「文芸坐」を開館。株主は吉川英治徳川夢声井伏鱒二らで“文士経営”と呼ばれる。1960年代は松竹洋画系の封切館で、1970年代に名画座に。1997年3月、旧文芸坐は閉館、建物は解体。約4年を経て、2000年12月、新しいパチンコホールの建物と共に新文芸坐が復活。僕は渋谷に転居していたが、オープニングの「戦後日本映画 - 時代が選んだ86本」に駆けつけ、大勢のファンと喜びを分かち合った。

 暗かった旧館に比べ、新しい劇場は天井が高く陽光が差し込み、きれいで最初ちょっと違和感があった。ファンの年齢層は高いが、女性も来やすくなった。オールナイトで、サブカル色が強かったりユニークな特集を毎週末楽しめるのも以前のまま。眠らない繁華街で見知らぬマニアックな人たちと一緒に、時々睡魔に襲われながら朝まで画面に沈澱する、これが醍醐味だ。

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■支配人・矢田庸一郎さんに訊く

 旧文芸坐のスタッフであり、新文芸坐の支配人ならぬ“店長”大分出身の矢田庸一郎さん(54歳)にお話を伺った。経営のマルハンは支配人という役職が無いのだ。「旧文芸坐では最後の数年間は副支配人で、新文芸坐を再開し2008年に支配人になりました。復帰までの4年弱は『TOKYO1週間』でフリーの映画ライターをしてました。いつになるかハッキリわらなかったけど、また必ず再開する、と言われていて、夢を持ちながら待っていました」。

 以前と一番変わった点を訊ねると「まず建物です。観る環境が格段に変わりました。前は映ってればいいじゃないかっていう姿勢で、それでもお客が来た。時代が違ったんです。設備は悪かったけど、歴史とブランド力、一種のオーラが看板で、古さゆえの場所の力がありました」。

 携わって30年だが、以前の全てが通用しなくなっていると矢田さんは言う。「例えば、入社当時は『リーサル・ウエポン』(1987)をやっていました。その時のお客様が求めているものは何か、とお客の興味と同化していくことを学びました。娯楽アクションが沢山作られ、お客さんが入っていました」。

■大人のための作品が少ない

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大林監督、『HOUSE ハウス』1977年 主演の大場久美子さんのサイン。ウインドウの中のサインは、新しく来場したゲストに入れ代わる。

 年末に公開された大林宣彦監督の新作完成記念で「大林宣彦映画祭」を10月に開催、一挙上映。「ご病気を煩ってる監督を初め、プロデュ-サ-で奥様の恭子さんらご家族の皆様も一緒にいらっしゃいました。大林映画は家族で作ってますから映画の歴史が家族の想い出なのでしょう。コーディネートは親しい評論家。ゆかりの方々も多数、ファンも詰めかけて、皆で祝福し、充実した映画祭になったのではないかと思います」。

 日本映画界についてのご意見をいただく。「もう少し大人が楽しめるようになればいいなと思います。前から言われていますが、50~70代の大人が安心して観られる作品が上映されていません。山田洋二監督の『東京家族』(2013)とか『家族はつらいよ』(2016)、原田眞人監督の『日本のいちばん長い日』(2015)、『関ヶ原』(2017)とか、少しはあるけど、シネコンでは殆ど若者向きの映画ばかりになっています」。

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■名画座は、技と感性を継承する場所

 若い人へのメッセージをうかがった。「私が言うのもなんですが、手段はいいから、スマホでもかまいません、とにかく映画を観てください。観ていないと作れません、文化が継承さないと、映画は無くなっちゃいます。こんな話があります。結末がハッキリしなくて“真相は闇の中”で終わる作品ってありますよね、あえて明かさない。それを観た若いお客から『中途半端で意味が解らない、こんなの映画じゃない!』と苦情が出た。モヤモヤが残って気持ち悪い、と」。

 「先日、『忠臣蔵映画祭』をやったのですが、あのような大作映画というのも少なくなりました。撮影所システムが機能してた時は、そこで技が継承されていたんです。しかし崩壊し、その外で撮る人が出てきた。個人の時代に移ったんです。そうした中、名画座が映画の学校として機能したという側面もあったと思います。かつて名画座に映画が落ちてくる、という感覚がありました。ロードショウが終ったのをやるのが、名画座です。安くて、いっぱい観られる。だから“学校”なんです」。

 「映画が始まって、トーキーになり、カラーになり、テレビが出て、ビデオ、そしてモバイル、と何度もの変革があり、どんどん見易い環境になったけど、人はもっと映画を観るようになったかというと、そうはなってません。昔は味わい深い作品がいっぱいありました。いま、そういった感性の需要が無いのは、ちゃんと継承されていないからです。若い世代が、映画の観方を知らない、ということではないでしょうか。それを伝えていきたいです」。

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■変わらぬ街・池袋

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『夜霧よ今夜も有難う』 石原裕次郎 浅丘ルリ子 監督:江崎実生 1967年

 かつての文芸坐の場内は酒臭く、ロビーはタバコ臭かった。レンタルビデオも全盛だったけど、眠り狂四郎特集、やくざ映画特集など、スクリーンで観るのは最高でタイムスリップした気分になった。勝新太郎が謹慎中に催された“勝新特集”の何日かに足を運んだが、たまたま行かなかった日に本人が突然現れた!! それを知った悔しさといったら……! レジェンドを生で見る機会を永遠に逃した。

 文芸坐1と2の間に小さな演劇場ル・ピリエがあり、時々名画を16mmフィルムで上映、印象的に残っているのは『バニシング・ポイント』(1971)、『悪魔の追跡』(1975)や『自転車泥棒』(1948)、『靴磨き』(1946)等。書店「文芸坐しねぶ・てぃっく」と、喫茶店もあった。ついでに周辺ののぞき部屋、ストリップも初体験。まだ芸術劇場は建築中だった。あれから27年。

 池袋時代の沢山の想い出がいまも蘇る。叶わない要望かもしれないけど、また是非、邦画専門の新文芸坐2も作って欲しい。当時よく、すぐ近くの線路と平行する細長い駅前公園で、缶ビールと共に余韻に浸った。映画館の近くに公園があるのは素敵だ。近くの加賀屋で軽く飲むときもあった。その後は銭湯へ。池袋っていまだに地元みたいで肩が凝らないんだなあ。

■映画館情報
新文芸坐
住所:東京都豊島区東池袋1丁目43-5 マルハン池袋ビル3階

TEL:03-3971-9422
席数:264席
URL:http://www.shin-bungeiza.com/
FB:http://www.facebook.com/shinbungeiza
Twitter:http://www.twitter.com/shin_bungeiza

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ラジカル鈴木 プロフィール

イラストレーター。映画好きが高じて、絵つきのコラム執筆を複数媒体で続けている。

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