まったく売れない!エアジョーダンが伝説になるまでのウラ事情
スニーカー業界は、いまや年間何十兆円もの利益を生みだす。1970年代にニューヨークのストリートから始まり、その後のヒップホップ人気などで一気に発展した運動靴メーカーの舞台裏を描く『JUST FOR KICKS』。
その内容はユニーク! スニーカーのみにスポットをあてたドキュネンタリーは、製作者の強烈なこだわりを感じさせる。
映画は、ニューヨークのブロンクス地区でブレイクダンサーたちがスニーカーを支持している背景からはじまる。1980年代、ヒップホップアーティストは、自分のお気に入りのメーカーのスニーカーソングを作り、スニーカーブームが到来する。
1990年代、NBAのヒーロー、マイケル・ジョーダンは“エアジョーダン”のアイコンとなり、やがて、エアジョーダンは、“狩り”まで行われる異常な人気を獲得し、世界的なムーブメントが起きる。
しかし、このエアジョーダン意外や意外。発売当初はまったく売れず、メーカーは在庫の山だった。
ジョーダンは当初より、新人離れした驚異的なプレイでオールスター選出、新人王を獲得し、あっという間にスターの仲間入りをしたがスニーカーの人気は一向に上がらなかった。
当時、ナイキのバスケットシューズの評価は低く、NBAで履く者はほとんどなく、事実契約選手はいなかったのだ。
ジョーダン自身も希望するメーカーはアディダスだったが、当時の常識では実績のない新人にシグネチャーモデルを用意するはずもなく、結果としてジョーダンはナイキと契約したという限りなく後ろ向きなタイアップだったことも原因の一つかもしれない。
しかし、売れないながらも、“何か”を信じ続けモデルチェンジをし続けたエアジョーダン。
そのころNBAのルール上「選手の履くシューズは80パーセント以上が白を基調としていなくてはならない」との規定で、そのルールからはずれるエアジョーダンは、ジョーダンに罰金を命じたが、ナイキはこの罰金を肩代わりしてまでも、エアジョーダンを履かせ続けた。恐るべしナイキの執念。
その後、ナイキの執念が実を結んだのか、ジョーダンの人気とともに徐々に売れ始め、1989年のエアジョーダンIVで大ブレイク! 後は、ご存じのとおり、スニーカーを巡り殺人事件が起きるほど、社会現象となったエアジョーダン人気。一時のブームはおさまったが、今もエアジョーダンは売れ続けている。
『JUST FOR KICKS』は5月19日より渋谷シネクイントで公開。
オフィシャルサイトj4k-movie.com