黒澤明監督の自殺未遂事件の真相は?名スクリプター撮影秘話語る
黒澤明監督のスクリプターとして、1950年の映画『羅生門』から黒澤監督作品に参加している野上照代さんが、ニューヨークで行われたジャパン・ソサイアティーのイベントにゲストとして登場した。実生活でも個人的に黒澤監督と親しかった野上の口から、日本映画黄金時代での活躍や、知られざる撮影秘話が語られた。
‐野上さんの仕事を詳しく説明していただけますか?
(野上照代さん:以下敬称略)スクリプターというのは、ごく簡単に言いますと、一般的に撮影は順番通り撮らないのですが、編集を担当している方が最初から観られるように、これは何番目のどのシーンだとわかりやすいように記録する仕事ですね。編集の方のためにする仕事です。
‐『羅生門』の撮影現場はいかがでしたか?
(野上照代)黒澤監督は、光と陰の調整によく鏡を反射させて撮影していましたね。森林を歩いていた志村喬さんの後ろに、作った葉っぱを振りかざしていたこともありました。この作品ほど森林の奥まで入って行って撮影したのも当時では珍しいですし、これほど美しく撮れた作品もないでしょうね。音響なんかもすべて同時に録音しているんですよ。
‐映画『生きる』の撮影現場はいかがでしたか?
(野上照代)志村さんが、ブランコに乗って「ゴンドラの唄」を歌っているシーンがありますが、あのときの役柄は末期ガンを患っているという設定だったので、彼の声を普通の歌い方と違うようにするために、フィルムの回転を変えたり、黒澤さんも歌ったりしたんですよ。それと、この撮影のときに降らしていた雪というのが、実はおふなんです。最近では発砲スチロールなんかを使っていますけどね。湿気っぽいときなんかは、それがくっ付いてしまって大変でしたけど(笑)。
‐黒澤監督の自殺未遂について
(野上照代)これはわたしの個人的な意見ですが、実際に自殺をしようとした人にしか理解できない境地だと思うんです。けれど、外国に行くとよく新聞記者がこの質問をしてくるんですね。海外の方は、黒澤監督が映画『トラ・トラ・トラ!』のショックであの自殺未遂を起こしたと思っている方が多いのですが、それは違います。黒澤監督はこの『トラ・トラ・トラ!』の件があった後に映画『どですかでん』を撮ったんです。その後に自殺を図ったので、むしろこの作品の方が彼に影響を及ぼしていたと思います。
‐『羅生門』はあなたにとってどんな作品ですか?
(野上照代)彼との一番最初の作品でもあって、大好きな作品なんです。ただ黒澤監督は当時東宝に所属していた監督で、東宝の労働争議で仕事ができなくて、大映で『羅生門』を撮ったんですよ。わたしはまだ大映で働き始めて3か月くらいでこの作品に参加したんですけど、この映画のおかげでわたしが今も映画界にいられるきっかけとなったので大変うれしいです。
このイベントが行われた同じ時期に渡米していた仲代達矢が途中参加。ジャパン・ソサイアティーのイベントはアメリカの黒澤ファンたちを大いに楽しませるイベントになった。(取材・文:細木信宏)