アカデミー賞ノミネートへの知られざるかけひき
第81回アカデミー賞
来年度のアカデミー賞に向け今から有力候補者、作品がしのぎを削っているが、華やかなアカデミー賞ノミネートの裏舞台にはスタジオのお偉方たちの非情なるオスカー作戦がある。画策に画策を重ね、いかにして自社の作品や俳優たちにオスカー像を持ち帰らせるか。この結果次第で彼らの自家用車がフェラーリになるか、はたまた中古のフォード車になるかの大きな違いが出てくる。作戦上の重要項目のひとつに、いかに“かち合う”ことを避けるか。というのがある。
さて、“かち合うこと”というのはどういう状態をいうのであろうか。良い例は、1984年の『アマデウス』での一件だ。音楽の神童モーツアルトとそのライバルであったサリエリとの壮絶な人間ドラマを綴ったこの映画は、ある意味で余りに素晴らしすぎて、アカデミー賞へ推薦書類を提出する段になって製作スタジオ側が頭を抱えた。サリエリ演ずるF・マーレイ・エイブラハムとモーツアルトを演じたトム・ハルスの両方が主演級で双方の演技は甲乙付けがたく、どちらか1人だけを推薦するというわけにはいかないという状況に見舞われたのである。だが、2人一緒に主演男優賞候補ということになると票割れの揚句に双方が相殺されてオスカー像ゼロ……などということにもなりかねない。
結局、この年はスタジオ側も腹を決め、マーレイとトムの両方を主演男優賞候補として推薦し、2人ともノミネート決定という結果になった。しかしアカデミー当日、主演男優賞の栄冠はサリエリを演じたマーレイに輝き、『アマデウス』の主演役で同様に素晴らしい演技を披露したトム・ハルスは敗北という形に終わった。
幸い相殺という最悪事態は避けられたものの、何やら後味の悪さを残したこの“かち合い”事件以来、スタジオは同じ作品の俳優たちが最優秀男優・女優賞のノミネートとしてかち合わないように細心の注意を払っている。だがこの“配慮”のせいで被害を被っている俳優たちもいるのだ。
2002年の『シカゴ』がそのいい例だ。製作スタジオのお偉方は、主演の美女たちキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、レネー・ゼルウエガー、そしてクイーン・ラティファという3女優たちのエゴを傷つけぬよう、なおかつスタジオの威信を傷付けぬよう(それはオスカー像の取り逃しを意味する。)頭をひねってノミネーション作戦をたてた。苦肉の策として、キャサリンが主演女優の座をレネーに譲る形で助演女優のカテゴリーに降格してもらうという形になった。ここで思わぬトバッチリをうけたのはクイーン・ラティファである。真の助演女優だった彼女が主演女優級のキャサリンと一騎打ちする羽目に陥ってしまったからだ。結果は言わずと知れたキャサリンの勝利。候補になることだけでも素晴らしいアカデミー賞ではあるが、最終的には押し出されるような形になってしまったクイーン・ラティファへのこの仕打ちは酷といえばかなり酷である。
さて、次回のアカデミー・ノミネーションのかち合い狂想曲も見ものである。『愛を読むひと』と『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』という2つの傑作に主演しているケイト・ウィンスレットは、両作品でアカデミー賞候補への呼び声が高い。この状況は、同じ賞で自分が自分と争う事になるという可能性である。このような状況は同カテゴリー内において1人で2つのスポットを占めるために未然に防がれるはずだが、『愛を読むひと』のワインスタイン・スタジオと『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』のドリームワークスがノミネーションに向けてどのようなキャンペーン作戦を繰り広げていくのか興味深いところだ。