世界で最も有名だったセックス・クラブ!性の無法地帯には日本人観光客もいた?
1977年から1985年のニューヨークで性の無法地帯として世界で最も有名だったセックス・クラブ、Plato's Retreat(プレイトーズ・リトリート)と、その経営者ラリー・レビンソンに迫ったドキュメンタリー映画『アメリカン・スウィング』(原題)が完成した。センセーショナルな本作について、ジョン・ハート監督とマシュー・カウフマン監督の二人に話を聞いた。
過去の出来事とはいえ、当時の一般客をどうやって説得し、インタビューに成功したのかと尋ねられたマシュー監督は「雑誌や新聞などにクラブの情報を集める広告を出したんだ。そうしたら100本くらい電話があった。その中でも真実味があって興味深い話をしてくれた人たち直接会いに行くことができた。ほとんどの人たちは、当時の状況を細かく丁寧に話してくれたが、いざカメラを向けると『カメラの前ではこの話をするなと言われた』とか『パートナーに聞かれたくない』という理由で、なかなか話してくれなくてね。今考えると随分長いプロセスだったが、最終的には興味深い人たちにインタビューできたと思うね。それに、顔がはっきりしないインタビュー映画にだけはしたくなかったからね」と語ってくれた。
また、経営者ラリーの家族の姿も描かれていることについて、ジョンは「ラリーが単なる異常性欲者で狂った男という解釈をされないために、家族にかかわってもらう必要があったんだ。あまり知られていないが、彼は割と育ちが良くて、最初の結婚まではとても普通の男だったんだ。ちなみに撮影前に家族間でいろいろと問題があったようだが、この映画でその溝を埋めることができたと思うんだよ」と答えてくれた。また、クラブを訪れた人たちについて「好奇心や興味本位で見に来た人たちもいただろうし、実際に見てうんざりして帰ってしまった人たちも相当いたようだね。それに日本からのツアー客も結構いたらしいよ!」とのことで、日本のナイトライフにも興味を示していた。
結局このクラブは、公衆衛生法違反とエイズ問題で閉店した。ラリーは未払いの税金問題で刑務所に入り、出所後はさまざまな職を転々とし、2002年に心臓発作で亡くなっている。(取材・文:細木信宏 / Nobuhiro Hosoki)