日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』でゴジラだった俳優登場!抜擢の理由は10メートル歩けたから
開催中の山形国際ドキュメンタリー映画祭2009には、地元・山形に着目した「やまがたと映画」の特集部門がある。今年は、鶴岡市出身で、『ゴジラ』シリーズで知られる本多猪四郎監督にスポットを当て、人情劇『夜間中学』やサラリーマン・コメディ『上役・下役・ご同役』の上映のほか、初代ゴジラ・スーツアクターの中島春雄さんがトークショーに登場し、詰め掛けた本多ファンを喜ばせた。
中島さんは、1950年に東宝に入社して大部屋俳優として活躍。1954年に製作された日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』でゴジラ役のスーツアクターを務めて以来、72年の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』まで大役をまっとうした。そのほか、今回上映された『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』でもガイラ役で出演している。
ゴジラを演じることになった経緯について、中島さんは「親父さん(特技監督の円谷英二)から最初、『(中島さんのあだ名)春坊と(先輩俳優の)手塚勝巳の二人でやって欲しい』と言われたの。でもゴジラスーツが重くてね。テストで、僕が10メートル、手塚は3メートルぐらい歩いて国会議事堂のセットにつまずいて倒れちゃった。それを見ていた親父さんが『春坊に決まりだな』と言ってやることになったんですね。ゴジラの動きは脚本を貰って、すべて自分で考えましたね」と当時の秘話を語った。
実は中島さんも酒田市出身で、本多監督とは同郷だ。「当時の東宝の演出家は皆、うるさくてね。その点、本多先生は『ハイ、OK! OK!』ってな感じで楽だったね。本多先生が(撮影現場に)来るとホッとしていた」と温厚な人柄と言われた本多監督の一面を明かした。
司会者から「ちなみに、一番うるさかった演出家は誰でしたか?」と尋ねられると、中島さんは「そりゃ黒澤明だよ」と即答。続いて「後ろの方にいたエキストラの『歩き方が気に入らない』とか言って、『帰れ!』と帰しちゃったりね。もうそりゃスゴイですよ。なんてったって、黒澤天皇って呼ばれていたくらいだからね」と軽妙なトークで、会場を沸かせていた。 また2011年は本多監督の生誕100周年に当たるが、本多監督の長男・隆司氏によると回顧上映などのほか、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の金子修介監督と記念企画を考えていることを明かした。(取材・文:中山治美)