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小松政夫、月収100万円を捨てて付き人になった植木等さんとの感動爆笑エピソード披露!

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植木等さんとの感動のエピソード披露する小松政夫
植木等さんとの感動のエピソード披露する小松政夫

 東京・浅草中映劇場で18日、今年結成55周年を迎えるクレージーキャッツの関連映画3本が上映された。この上映会は、現在開催中の「第3回したまちコメディ映画祭in台東」の特集プログラムで、クレイジーキャッツの大ファンである高田文夫がプロデュース。会場には、かつて植木等さんの付き人をしていた小松政夫が駆けつけ、師匠との感動爆笑エピソードを語りつくした。

 俳優になる夢をかなえようと上京した小松だが、なかなかチャンスがなく、自動車のセールスマンとして働いていた。営業成績はトップクラスで、月収は現在の100万円にあたる金額だったんだとか。それでも夢をあきらめきれず、植木さんの付き人兼運転手になったのは、雑誌の公募広告がきっかけ。「いわゆる3行広告ってやつで、そこに『真面目にやるなら、面倒見るよーーーーーーーー』と書いてあったんですよ」と振り返る小松。なんと600人もの応募があったそうだが、「なんでも即決だったみたい。当時からセールスの仕事で、お金持ちの社長さんとか相手にしてたから身なりもきれいでしたし」と見事、植木の付き人に採用された。

 それから4年間は、一週間の睡眠時間がわずか10時間(!)というハードな日々だったが、「芸は教わるものじゃない。好きな芸人の真似をすればいい」という教えのもと、芸人としてのベースが形成された。小松の代表的なギャグである「知らない、知らない、知らなぁーい」もこのころ誕生。故・谷啓さんが書いた台本で、テレビ番組への初出演を飾った。

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 そんな小松が、植木から正式なタレントデビューを聞かされたのは移動中の車内だった。ハンドルを握る小松に対して、植木は「明日からこなくていい。事務所(渡辺プロ)の社長に交渉して、お前を所属タレントにすることになったから、明日判子を持って事務所に行け」。これを聞いた小松の目には大粒の涙があふれたそうで、しばらく車を止めざるとえなかったそうだ。一方、植木はそんな小松の様子を見ながら、「別に急いでないけど、そろそろ行くかぁ」と声をかけたという。

 現在68歳の小松は、身振り手振りで当時のエピソードを次々と披露。そのパワフルさに、客席も大いに沸いていた。この日は、代表作である映画『クレージー黄金作戦』(1967)をはじめ、今月急逝した故・谷啓さんが主演を務めた映画『図々しい奴』(1964)、現在ソフト化されておらず、観ることができない映画『喜劇 泥棒大家族 天下を盗る』(1972)という貴重なタイトルが上映され、往年のファンはなつかしそうに古き良き“喜劇映画”を楽しんだ。

「第3回したまちコメディ映画祭in台東」は9月20日まで開催

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