『俺たちに明日はない』『奇跡の人』の監督アーサー・ペンが心不全で死去
映画『俺たちに明日はない』『奇跡の人』などでメガホンを取った伝説の監督アーサー・ペンが、28日火曜日の夜にマンハッタンの自宅で亡くなったことがN.Yタイムズ紙によって明らかになった。死因は彼の息子マシューによると、うっ血性心不全と報告されている。
アーサー・ペンは、1957年にテレビ版のウィリアム・ギブソンの戯曲「奇跡の人」をチャンネルCBSで制作し、エミー賞のノミネーションを受けた。そして1959年には同作をブロードウェイで舞台化して、トニー賞で監督賞を受賞し、さらに62年には同作を映画化して、主演を務めたアン・バンクロフトがアカデミー主演女優賞、共演したパティ・デュークがアカデミー助演女優賞を収めるほどの成功を導いた。
その後の彼は、フランスのヌーベルヴァーグに影響を受け、アメリカン・ニューシネマの旗手の1人として、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ等と共に新時代の映画を製作し始め、その代表作となったのが彼が監督した『俺たちに明日はない』であった。同作は、アカデミー賞10部門にノミネートされ、エステル・パーソンズが助演女優賞、バーネット・ガフィが撮影賞と2部門を受賞している。
さらに彼は、アメリカの歴史を変えるきっかけとなった出来事にも貢献していたことがあった。それは、リチャード・ニクソンとジョン・F・ケネディの大統領選の際に行われた二人の候補者のTV討論で、その第三回目の放送を監督したのがこのアーサー・ペンだった。アーサーは、候補者ケネディにカメラのレンズを見て、簡潔に答えなさいと指示していたらしい。結果的に、その自信あふれる様相が、ライバルであったニクソンとの差をつけるきっかけになったと言われている。
今回のアーサーの死について『タクシー・ドライバー』の脚本家ポール・シュレイダーは「アーサー・ペンは、60年代の繊細なヨーロッパ芸術映画をアメリカ映画として製作した。彼が、後に映画学校を卒業したアメリカン・ニューシネマの監督たちの道を切り開くきっかけになった」とコメントを残している。
最後にアーサーは、1922年の9月27日に生まれ、88歳の誕生日を迎えた翌日に帰らぬ人となった。彼のご冥福をお祈りしたい。