なんでうちの避難所はだれもきてくれないの?佐藤隆太を迎えた上映会を実現した男たちの友情
今月18日、被災地・宮城県の小さな避難所を俳優の佐藤隆太が訪れて行われた、公開前の最新作『ロック~わんこの島』の上映会の舞台裏には、津波によって流された故郷を愛するふたりの男たちの熱き友情秘話があった。
「本当に信じらんないよね……」とぽつりと話した菅原聖さんが立っている瓦礫の上には、かつて石巻市出身の石ノ森章太郎氏が少年時代に通いつめた映画館「岡田劇場」があった。菅原さんは、幕末から親子三代で岡田劇場を続けてきたオーナー。石ノ森萬画館の真正面にあり、幕末から160年続いていた劇場は、昭和35年に起きたチリ地震の津波にも、53年の宮城県沖地震にも負けなかった。だが、今年3月11日に発生した東日本大震災の大津波により、岡田劇場は跡形もなく流された。菅原さん自身も、叔父夫婦と従業員と共に劇場そばの自宅で津波にのまれた。菅原さんと従業員は奇跡的に無事だったものの、叔父夫婦は、その後、遺体で発見されたという。それでも菅原さんは下を向かない。地震前は、「都会の子達と同じように、田舎の子達にも同じ新作を見せてあげたい!」との思いで、映画会社・東宝にかけあい、ドラえもんの新作を上映し、「差別はなくしてあげたいから」との思いから、入場者プレゼントも東京の子どもたちと同じように配布していた菅原さん。劇場の姿はなくなっても、岡田劇場の精神だけは菅原さんの心の中に残った。今度は、「被災地でも、都会と同じように新作を上映したい」、強い思いが、菅原さんを突き動かしていた。
そんなとき、菅原さんのもとに、高校の同級生から一本の電話があった。石巻市の最北端に位置する北上町十三浜の避難所に暮らす、遠藤昭弘さんだ。町が丸ごと津波にのまれ、小学校、中学校を含めたほとんどの家が全壊するという壊滅的な被害に遭った十三浜は、橋の崩落や道路の寸断によって、震災から100日以上がたった今でも復旧はまったく進んでいない。遠藤さんも、家と、自宅に併設していた工場を津波で失い、幼い頃からともに育ってきた消防団の仲間も、数名が津波の犠牲になった。やりきれない思いで日々を過ごす生活のなかで、避難所を訪問する有名人の炊き出しの様子を伝えるテレビを見ていた遠藤さんは「なんでうちの避難所はだれもきてくれないの?」と寂しそうにつぶやいた子どもたちの言葉を聞いたという。「うちでも上映会をしてくれ」、電話のむこうから聞こえる、遠藤さんの切実な願いに菅原さんが立ち上がった。かつて「ドラえもん」シリーズで親交のあった東宝に交渉すると、公開前の最新作『ロック~わんこの島』の上映が決まった。さらに、主演の佐藤隆太も、避難所を訪れるという。「こんな遠い避難所に、佐藤さんが来てくれるなんて、とても信じられませんでした……」と、菅原さんも遠藤さんも、最初は半信半疑だったという。
そして上映会当日、避難所となっている相川保育所の小さなホールで上映会は行われ、佐藤は、菅原さん、遠藤さんと共に、舞台あいさつに立った。佐藤を前に、涙を拭い続ける遠藤さんを、菅原さんが、「も~また泣いた! こいつ、おれの結婚式でもこんなでしたからね」と笑顔で見守っていた。
「小さい頃、ジャッキー・チェンの映画を観たあとに映画館を出ると、自分がものすごく強くなった気持ちになれた。映画にはすごい力があると思う」と話した菅原さんは、これからもDVDとプロジェクターを担いで各地の避難所を回るつもりだという。津波によって流された遠藤さんの自宅跡で取材に答えた遠藤さんと菅原さんは、石巻高校の同級生。かつてはよく“やんちゃをした”仲間だったそうで、「おれは家が遠いから、下宿していたんだけど、菅原はよく遊びにきてさ。お前は、ほんっとに悪の権化だったよな!」と当時を振り返りながら、ふたりは笑い合う。瓦礫の上で写真を撮るとき、「おれたちの年齢、10個くらい若く書いておいてね~!」といたずらっぽく笑ってみせた被災地に生きる男たちの底抜けの明るさは、とてもかっこよく、頼もしかった。(編集部:森田真帆)