高岡蒼甫、自殺未遂も告白 自身のブログを立ち上げ「韓国に対する批判はしてはいない」と事務所を辞めるまでをつづった2,843文字
ツイッター騒動の渦中にあり所属事務所を辞めたばかりの俳優の高岡蒼甫が、29日自身のブログを立ち上げ、映画『パッチギ!』出演後から現在に至るまでの日々をつづった。
オフィシャルツイッターアカウントからリンクされた「高岡蒼甫 本人ブログ」として立ち上がったブログには29日付けで「事実に基づく真相」とタイトルされ「この際だから始めて話します。パッチギを撮り終えた暫く後に自分は自殺を図った。その後半年間仕事を休む」という告白から始まっている。
2004年に主演した、足立区女子高生コンクリート詰め殺人事件をモチーフにした映画『コンクリート』の主演後にさかのぼり、「プレッシャーとよくわからないネットからの始めての執拗な攻撃に耐えきれなくなっていき生まれて始めて精神が崩壊した。(中略)精神病院に通い睡眠薬、精神安定剤の服用から顔もパンパンに膨れ上がりそのまま復帰作の撮影に挑んだ」(原文ママ引用)と当時の苦しみを吐露。「パッチギのキャンペーンで行った韓国の取材での発言により事実とは異なる掲載文により日本に帰ってきてからマスコミ、ネットから反日思想のレッテルを貼られる事になる」と2005年に公開され、高岡の出世作ともなった『パッチギ!』が、マスコミ嫌いのきっかけになったことを告白した。文中、宮崎あおいとの結婚で加熱したマスコミからのバッシングによるうつ状態の再発、数年に及ぶうつ病との闘い、そして作品名は伏せているものの「ROOKIES ルーキーズ」で出会った仲間たちとの日々により病気が快方に向かっていったこと……。まるでいままで必死に押し殺していた感情を一気に爆発させるかのようにつづられた文章は、自分のミスによる「そしたらパシャりと。自分の不注意でまたマスコミに騒ぎ立てられる生活に戻った」と写真週刊誌に取り上げられたスキャンダルにも及んでいる。
高岡は、2010年に出演した映画『さんかく』の舞台あいさつでのフォトセッション中、立ちくらみを起こしてステージから転倒した出来事があった。当時は、「疲れによる貧血の可能性」といわれていたが、このときのことを、ブログで振り返り、「安定剤を飲まずに立ってみようと思い舞台上に立ったら案の定息苦しくなって汗が止まらず目の前が見えなくなり舞台下に倒れた。無数のフラッシュを浴び観客の視線が怖くなり気づいたら自分の目の前に最前列の人の足があった」とつづっている。一度は役者をあきらめながらも、ニューヨークで公演を終わったばかりの舞台「金閣寺」で人生観が激変。3月11日の東日本大震災が起きても、「最近じゃ考えれないほど自分でいうのもなんだが逞しくなっていた。今度は自分の番だときっと病気の間もとてつもない人達に支えられていた。今度は自分が前向きにさせる番だと」とポジティブな気持ちになっていたことを告白。「きっと大丈夫。と思ってた」という高岡だが、その一方で、6年間高岡を苦しめるうつのきっかけとなった日本のメディアに対する怒りは徐々に募っていったようだ。「放射能の事から目を背けさせたり、都合の悪い事は報道規制をかける。結局この人達のやってる事は相変わらずだった」という高岡は、「国民に伝わらない情報が多すぎたり、的外れな外国のドラマ、朝のニュースでは偏った報道」と発言するに至るまでの経緯を説明した。
ツイッターの文字制限、140字という少ない文字数で、自分自身の思いを伝えることはとてつもなく難しい。今回、高岡は2,843字という長い文章で、自身の思いをつづった。「決して自分は韓国に対する批判はしてはいない」という言葉のとおり、日本のメディアへの問題提起としての一言が、"韓国批判”と報道され、大騒動へと発展してしまったようだ。
元所属事務所への取材によると、双方の話し合いで退社が決まったとのこと。今後、高岡の件で事務所からオフィシャルリリースはないという。これまで高岡のツイッターやブログの一片を少しずつ紹介してきたが、自分の目で全文を読むことで、受け止め方はそれぞれ違うはず。2,843文字の文章に込めた高岡の想いは、これからどのように伝わっていくのだろうか。(編集部:森田真帆)