『コクリコ坂から』の舞台は横浜ではなく盛岡だった!?宮崎親子共作の楽曲の存在も明らかに!
1963年の横浜を舞台に高度成長期を生きる高校生の少女・海と少年・俊の初恋の物語を描いた映画『コクリコ坂から』だが、実際の舞台は盛岡なのでは? という要素に満ちあふれていることがわかった。宮崎吾朗監督が、全国キャンペーンで向かった岩手県盛岡市で、観客から「『コクリコ坂から』の舞台は、実は盛岡なのでは?」という声が上がったのだという。
実は、『コクリコ坂から』には、岩手県出身の宮沢賢治にまつわるさまざまなエピソードが登場している。例えば劇中、主題歌を歌う手嶌葵も参加し歌われる「紺色のうねりが」という歌。この歌の歌詞は、1番の歌詞を宮崎駿が、2番の歌詞を宮崎吾朗が作詞した親子共作なのだが、駿、吾朗共にその歌詞は宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」に触発を受けて作詞したものなのだという。さらに、劇中には、「注文の多い料理店」に登場するレストラン「山猫軒」が登場し、カルチェラタン(劇中に登場する部室棟)の壁には、宮沢賢治おなじみの「下ノ畑ニ居リマス」をほうふつさせる文字が。カルチェラタンの現代史研では、宮沢賢治の詩を朗読する者もいて……といった具合に宮沢賢治へのオマージュが盛りだくさん。『コクリコ坂から』に描かれる“バンカラ”の気風は、岩手県では今も色濃く残っており、そういったことが重なって、「『コクリコ坂から』の舞台は、実は盛岡なのでは?」という声が上がったらしい。
しかし、もちろん映画は、1963年の横浜が舞台。山下公園、ホテルニューグランド、マリンタワー、氷川丸、桜木町駅など、横浜の風景が描かれている。神奈川県民や岩手県民だけでなく、誰もの心に懐かしさを呼び起こす温かい物語が描かれた『コクリコ坂から』。その物語は、1963年に青春を過ごした大人たちから、高校時代を通り越した若者たち、現在青春真っ盛りの高校生たち、さらに下の中学生や小学生まで、幅広い年代の心に届くことだろう。(編集部・島村幸恵)
映画『コクリコ坂から』は全国公開中