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原発事故で実家を失った双葉町出身のフラガール、「わたしは福島が誇りです」と涙の訴え

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涙を笑顔に隠して全国を回ったフラガールの大森さん
涙を笑顔に隠して全国を回ったフラガールの大森さん - (C) 製作:ジェイ・シネカノン / 「がんばっぺ フラガール!」製作委員会(ジェイ・シネカノン、Yahoo! JAPAN 他)

 現在上映中の映画『がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』の小林正樹監督と、スパリゾートハワイアンズのフラガールのひとりである大森梨江さんが取材に応じ、映画に込めた福島への想いを語った。

映画『がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』フォトギャラリー

 フラガールたちの一人で、福島県双葉町出身のサブリーダー大森さんは、小林監督が、2007年に手がけたハワイアンズのDVD「真実のフラガール」に出演していたメンバーの一人だ。監督が、4年ぶりに再会を果たした大森さんは、28名のフラガールたちを引っ張るサブリーダーとなっていた。「4年前に会ったときの大森さんは、まだ新人さんでした。でも、2度、フラガールのオーディションに落ちながらも、夢をあきらめずにフラガールとなったというエピソードはとても印象深くてよく覚えていました。正直、28人の女性たちの中に、突然僕のようなおじさんが入っていくわけですから、とても大変だったんですが、大森さんがいてくれたおかげで、すごく頼りにしたんです」と話した小林監督だったが、撮影を始めた当初は、彼女が背負っていた大変な状況を全く知らなかったという。大森さんは、このとき、福島第一原発からわずか2キロにある実家を失っていた。

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 作中では、大森さんががフラガールたちとともに、避難中の双葉町の人々のもとを訪れ、フラを披露するシーンが登場する。双葉町は、大森さんが生まれ育った場所。避難所に暮らす人たちは、小さなころから顔見知りのおじさんやおばさんたちだった。「キャラバンのバスを降り立ったときから、言葉にできないくらい胸が苦しかったです……。近所の人たちの顔を見るのもつらくて、逃げ出したい気持ちにもなりました。震災から2か月ぶりの再会でしたが、近所の方も、人間が変わってしまったかのように、やつれてしまっていて。胸が苦しくて、苦しくて。自分はダンサーだからって言い聞かせながら踊っていましたが、それでも辛くて……」。当時の気持ちを振り返ると、どんなに必死にこらえても、涙が止まらなかった。

 「震災当初は、毎日泣くことしかできなかった」という大森さんは、本作の撮影が始まったときも、「思い出したくないことばかりなのに、わたしはこの映画に出ることができるのだろうか……」と、まだ心が揺れていたという。「自宅に置いて行った愛犬が、地元の保護施設で発見されたんですが、その施設も被災された方が作られた施設でした。そのとき、姉に、『見えないところで頑張っている人はたくさんいる。フラを通して、伝えられるなら、あなたが伝えていかなければいけないんじゃない?』と言われ、わたし自身が、フラガールとして伝えて行けることを伝えて行こうと決意しました」

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 小林監督もまた、被災した人たちにカメラを向けることへの葛藤と戦っていた。「最初は、本当に悩みました。ふつうなら、カメラを向けないでくれ!という方が、ひとりくらいいてもおかしくなかった。でも、そんなことを言う方はひとりもいませんでした。皆さんの明るさに、僕らが励まされていた毎日でした」

 大震災を乗り越え、10月1日から再会したスパリゾートハワイアンズ。「グランドオープンの日は、たくさんの方々が訪れてくださいましたが、いま平日のステージに立つと、本当に人が少なくて、現実をいやでも思い知らされます」という、大森さんの言葉通り、原発問題は、経営に大きな影を落とす。「原発の事故はありましたが、福島では皆が一丸となって復興に向け、頑張っています。私は、そんな福島が誇りです。福島の人々の姿をたくさんの方に観ていただいて、ぜひ足を運んでいただきたいと思います」と語った大森さん。彼らの戦いは、これからだ。(編集部:森田真帆)

映画『がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』は新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国公開中

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