高峰秀子さんを偲ぶ会に約400人が出席 昭和を代表する大女優の人柄が語られる
2010年12月28日に肺ガンのため逝去した女優・高峰秀子さん(享年86歳)を偲ぶ会が、27日に東宝スタジオで行われた。高嶺さんの誕生日でもあるこの日、会には八千草薫、中村メイコ、香川京子、宝田明、戸田菜穂、篠田正浩監督ら映画関係者を含むおよそ400名が参列し、昭和の大女優をしのんだ。
1924年に北海道で生まれた高峰さんは、5歳のときに『母』で映画デビューを果たし、天才子役として注目を集めた。以降は「デコちゃん」の愛称で国民的人気を博し、1979年に引退するまで300本以上の映画に出演して日本映画の黄金期を支えた。代表作は映画『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』など。また文筆家としても知られ、自伝やエッセイなど多数の著作がある。夫は映画監督の松山善三。
この日は来賓代表のあいさつとして、映画スクリプターの野上照代、女優の司葉子など、生前に親交があった面々がマイクを取った。「ノンちゃん」と呼ばれるほど親密だったという野上は「俳優の仕事は、その人間になりきって『あら、カメラが映しているのね』という(自然な)状況にならないといけない」という高峰さんの言葉を紹介。
一方の司は、共演した際のお昼時に、高峰が撮影所でよくめざしを焼いていたことに触れ「『葉子ちゃんも食べる?』と言われ、演技がうまくなるおまじないだと思って食べました」としみじみ思い出を語った。
高峰さんが亡くなって以来、言葉が出にくくなっているという夫の松山善三監督は、「本日はうちの嫁さんのためにおいでいただき、ありがとうございました」と温かい拍手を浴びながらあいさつ。養女の松山明美さんは「高峰が亡くなってから、いろいろなことがあった。怪しい人が近づいてきたりもした」と涙ながらに告白し、「名もない週刊誌の記者だったわたしを養女にしてもらえるとは、夢にも思っていなかった。拾ってもらったノラ猫のような存在だが、松山家を守る番犬にならないといけない」と気丈に語った。(肥沼和之)