ハサミ一つで世界を変えた男、ヴィダル・サスーン!孤児院での生活や心の支えとなった母親との思い出を激白!
1960年代にサスーン・カットと呼ばれる斬新なボブカット・スタイルでファッション・シーンに大旋風を巻き起こしたヘア・スタイリストの人生を追ったドキュメンタリー映画『ヴィダル・サスーン』が日本公開されることになり、ヴィダル・サスーン氏が現在からは想像もできない幼少期のエピソードを明かした。サスーン氏は今月9日に亡くなったため、これが生前に受けた最後のインタビューとなった。
美容院に行ったことのある人ならば必ずと言っていいほど聞いたことのある「ヴィダル・サスーン」。その名前の元となった“美容界のロックスター”ことサスーン氏はすてきなジェントルマンという雰囲気だ。だが、その口から語られるのは、穏やかで温かな人柄や華やかなサクセス・ストーリーからは想像もできない生い立ちだ。
1928年にイギリスで生まれたサスーン氏は貧しい母子家庭に育ち、5歳のときに児童養護施設に預けられることになり、6年間をそこで過ごした。そんな状況でも希望を捨てなかったというサスーン氏は、心の拠りどころについて「とにかく母だね」と明かした。「現代において『孤児院』というと、どうも悲惨なイメージがあるが、当時イギリスという国全体が貧窮していた。そんな経済状態においては、自宅に住むよりも孤児院に入るほうがまともな生活ができたんだよ」と母親に対して怒りはなかった様子だ。
実際、孤児院にいる間も許される限り母親が会いに来てくれたという。現在でも、サスーン氏は「今の自分があるのは母親のおかげ」と事あるごとに語っている。また14才当時、弟子を取らないことで知られた有名美容師アドルフ・コーエンの元に弟子入りすることができたのも「母親から教え込まれたマナーの大切さが功を奏したから」と輝かしいキャリアを築くきっかけとなったのも母親だったと明かした。
そんなサスーン氏は、「わたしが成功したのはチームに恵まれていたからだ」と今も周囲の人たちへの気遣いを忘れない。さまざまな経験をしてきたサスーン氏はそれを思いやりに還元し、日々体現しているのである。数年前、ニューオーリンズの街がハリケーン・カトリーナの被害に遭った際も、ヘア・ショーの収益金を使い、23軒の家を新築・寄付している。
それでもサスーン氏は、「もっとたくさんの家を建ててあげられなかったのが心残り」と振り返ると、「わたしはさまざまな人生を経験してきている。分けられる富があるときは、ない人たちと分け合うべきというのがわたしの信条なんだ」と話す。氏は「ハサミ一つで世界を変えた」と時に評されるが、それだけでなく、その魅力的な人柄で出会う人たちの世界をも変える最高の紳士だったのである。(ロス取材・文:明美・トスト / Akemi Tosto)
映画『ヴィダル・サスーン』は5月26日より渋谷アップリンクほか全国公開