ライブビューイングの先駆は日本?映画館の可能性
昨今、急速に広がっている「ライブビューイング」と呼ばれる映画館での演劇、コンサートの上映。そのきっかけは何だったのか? 今後の可能性と共に検証した。
日本でライブビューイングが始まったのは、2003年頃。「劇団☆新感線」を有するヴィレッヂがティ・ジョイと共に、2003年にプロジェクトを始動させ、「ゲキ×シネ」第1弾「髑髏城の七人~アカドクロ」を2004年に公開。時を同じくしてプロジェクトをスタートさせた松竹も、培ってきた映画と歌舞伎のノウハウを生かし、2005年に「シネマ歌舞伎」第1弾「野田版 鼠小僧」を公開した。
また、海外でいち早くライブビューイングを取り入れたのは、ニューヨークにある名門オペラハウス「メトロポリタン歌劇場」。2006年、音楽業界から総裁に就任したピーター・ゲルブ氏が、デヴィッド・ボウイのアルバムのプロモーションを衛星中継で全世界同時に行った経験や、スポーツバーでのスポーツ観戦を参考に、発案した。その後、ライブビューイングは、英国ロイヤル・バレエ、パリ・オペラ座など、世界各国に広がった。
「ゲキ×シネ」のヴィレッヂ、ティ・ジョイは、いち早くライブビューイングの形式を取った要因として、日本の演劇の興行システムを挙げる。劇場を借りて公演を行っている日本の多くの劇団は、ヒットしようがしまいが、一定期間で公演を終えなければならなかったが、「ゲキ×シネ」の導入により、過去の作品を後世に残すことができるようになった。
また、2011年に設立された株式会社ライブ・ビューイング・ジャパンの取締役編成企画部長兼宣伝部長・久保田康氏は、「映画館のデジタル化がライブビューイングの広がりに拍車を掛けたのではないか」と話す。映画館のデジタル化は、生中継でライブビューイングを行うためには、技術的に必要不可欠だったし、一度収録したものをライブビューイングするにしても、フィルム方式の上映システムでは、コストが掛かりすぎた。
また、ライブビューイングは、劇場にとってもアーティストにとってもメリットが多かった。劇場離れが進んでいた映画館にとっては新たな集客を見込める場となり、会場に足を運んだ観客にしかパフォーマンスができなかったアーティストにとっては新たなファンを獲得する場となった。そうしたさまざまな要因から広がっていったライブビューイングという映画館の新たな利用方法。久保田氏は、「国内のアーティストに限らず、海外のコンテンツを日本に紹介し、また国内のコンテンツを海外に紹介するメディアとしてさらなる活用ができるのではないか」と今後の可能性を示唆している。(編集部・島村幸恵)