三鷹出身の実力派女優、渡辺真起子、女優人生を振り返る
女優の渡辺真起子が24日、三鷹産業プラザで開催された「第5回三鷹コミュニティシネマ映画祭」特集上映「女優 渡辺真起子 特集」に来場、女優としての半生を振り返った。
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名画座「三鷹オスカー」閉館後、「三鷹市に古今東西の上質な映画を上映できる映画館を設立したい」という目標を掲げ、市民有志が開催する本映画祭。この日は『愛の予感』『チチを撮りに』の上映後に、父が「三鷹オスカー」を経営していたことでも知られる鶴田法男監督を聞き手に迎え、トークショーが行われた。
10代を三鷹で過ごしたという渡辺は、「わたしのすべては三鷹から始まっています。初めてボーイフレンドができたのもこのへんだし、初めてチューをしたのもここ」とぶっちゃけて会場を沸かせると、「学校を初めてさぼって行った映画館が『三鷹オスカー』。ミュージカル映画を観たんですが、劇場は大人のにおいがした」と振り返った。
渡辺が女優になりたいと思ったのは10歳の頃。学校の演劇クラブで芝居を上演したことがきっかけだったという。しかし、彼女の親は俳優になることに反対。それから彼女が高校生の時に、モデルの同級生の紹介でモデルとしてのキャリアをスタートさせたという。「モデル業というのは親もよく分からなかったみたい。でも、いつかは俳優をやりたいといつも思っていました」という渡辺。その後、女優に転向し、数々の話題作に出演するようになったが、「わたしは単純に運がいいだけ」としみじみ語る。
続けて観客からの「女優としての転機は?」という質問に「最初に芝居をしたときは観ているのも同級生だったし、自由に芝居をしていた。でも女優業をやっていくにつれて、人を楽しませなきゃとか、売れなきゃとか、いろいろと窮屈になった」と返答した渡辺。そんな窮屈さから解放されたのは、俳優たちが即興でセリフを作り上げていくスタイルで制作された1999年の『M/OTHER』だったという。「あの時にセリフから解放されたんです。ただ、それ以降はいつも解放されてしまって、それはそれで不自由になった。だから次はしゃべらない作品をやりたいと思った時に『愛の予感』に巡り会った。そこからしばらくたって吐き出したいと思ったときに『愛のむきだし』に巡り会った」と述懐。この日の観客は、興味深い話の数々に熱心に耳を傾けていた。(取材・文:壬生智裕)