第7回-閉館から約2年で復活!地元が支える映画館、豊岡劇場の工夫
映画で何ができるのか
東京・新宿のミラノ座が12月31日で58年の歴史に幕を閉じる。その一方で横浜シネマリンが12月12日にリニューアルオープンしたのに続き、12月27日には兵庫・但馬地方唯一の映画館である豊岡劇場が、閉館から約2年の時を経て復活を果たした。実現させたのは、「豊劇」(とよげき)を愛する地元住民をはじめとする熱き有志たち。目指すのは、映画上映だけではない地域のコミュニティスペースとしての拠点作りだ。存続の危機にある地方の映画館にとって、時代を切り拓くモデルケースとなりそうだ。【取材・文:中山 治美】
古き良き劇場の面影を絶妙に残して
12月20日。12月27日のグランドオープンを前に、プレオープニング・イベントが開催された。招待されたのは、近隣住民など約60人。外観は1927年(昭和2年)に建てられた当時の外壁をまんま残しているが、一歩劇場内に足を踏み入れると古き良き劇場の面影を絶妙に残してリノベーションされた空間が広がっていた。「大ホールはそのまんまや。懐かしい~」など、あちこちから招待客の感嘆の声が聞こえてくる。生憎この日は、大ホールに新たに設置したエアコンが上手く作動せず、劇場内でも外気2℃を実感するような寒さが堪えた。だが長年、同劇場に通っていたという近所の主婦が思い入れたっぷりに語る。「この寒さも含めて懐かしいですね。昔は、冬になると支配人がだるまストーブを焚いてくれたんですよ」。
芝居小屋としてスタートした豊劇は、戦時中は倉庫、そして映画産業華やかなりし時代は大衆文化のシンボルとして市民に愛されてきた。地元の主婦が振り返る。「昔は入れ替え制じゃなかったから、大好きな山口百恵の映画は最低2回は繰り返し観ていました。高倉健さんの『南極物語』もここで観たし、ここはロビーが狭いので、雪の舞う中、傘をさしながら劇場外に並んだこともありますよ」。
しかし他の地方劇場同様、娯楽の多様化もあって入場者数は減少。さらに追い打ちをかけるようにフィルムからデジタルの時代へ。設備投資費が捻出出来ないことから2012年3月31日に、一度、85年の歴史に幕を下ろした。26歳のOLが振り返る。
「やっぱり、段々ヒット作が来なくなると、どうせ豊岡では観られないしという気持ちになって、豊劇に来なくなってしまいました」。
有志と「豊劇新生プロジェクト」を発足し東京から移住
苦境を聞き、立ち上がったのが同市で不動産業を営む石橋秀彦だった。石橋は豊劇で映画の虜となり、一時は映画監督を目指して北アイルランドに留学した過去を持つ。培った知識と人脈を活かして2008年には東京・ユーロスペースで北アイルランド映画祭を開催した。その映画愛を胸に、石橋は有志と「豊劇新生プロジェクト」を発足し、再生事業に乗り出した。早速、それまで活動の拠点にしていた東京から地元へ移住。今夏には、豊劇の土地と建物も購入してしまった。夫の熱意に巻き込まれる形で共に豊岡に移住し、プロジェクトではデザイン&マネージメントを担当している妻・松宮未来子がツッコむ。「マイホームもないのに、なんで映画館買うてんねん」。
コンセプトは、CINEMAとACTION を合わせた「CINEMACTION」
それでも、石橋の決意は固い。「豊劇のおかげで外の世界を知り、海外に出て新しいモノを学んできた。まさにこの劇場は文化の遺産。長年、劇場を経営して下さった山崎家の方々に敬意を表すると同時に、地域の皆さんと守っていきたいと思った」。再生にあたり、当初から映画館だけの経営では厳しいことを考慮していたという。豊岡市の人口は約8万5,000人(平成22年度国勢調査)。カバン産業と特別天然記念物のコウノトリを育む街としてPRしているが、御多分にもれず若者の流出や駅前の商店街のシャッター通り化が問題となっている。車社会となり人の流れは郊外へと移り、中心地にある豊劇周辺も人通りは少ない。そんな豊岡で暮らす意義を考えた時に立ち返ったのが、映画館本来が持っていた文化の発信基地としての役割であり、地域のコミュニティとしての場だったという。
プロジェクトのコンセプトは、CINEMAとACTION を合わせた「CINEMACTION」。大ホールはステージを大きくし、ダンスや演奏会なども催せるように。小ホールは座席を取り除いて可動式にし、地域の住民がワークショップや文化教室などに活用できるような多目的ホールとしての機能をもたせた。ほか、ロビーには映画を観ずとも利用出来るカフェバーを設置。インターネットもフリーだ。
リノベーション費用をクラウドファンディングで
そんな魅力的な空間創りを支持する人も多く、リノベーション費用をクラウドファンディングで募ったところ目標金額200万円を大きく上回る271万6,000円が集まった。コレクター(出資者)110人のうちの8割は、地元の方々だったという。地元の小学生が語る。「子供会の映画観賞会で『ドラえもん』などを観に来ていました。なので閉館した時は寂しかった」。
出資者だけではない。豊劇再生プロジェクトには強力なサポーターもいる。兵庫県立大学経営学部・西井進剛教授が指導する西井ゼミの生徒たちだ。豊劇を地域活性の実践モデルとし、その問題点と可能性を探りつつプロジェクトに活かしていくという。3回生の大橋亜美(21)が語る。「私たちの世代は映画館と言えばシネコンのイメージしかなかったので、はじめて豊劇に来た時に映画館単体の劇場があることに驚きました」。生徒たちはまず、豊劇の印象について街頭インタビューを行ったという。浮かび上がった大きな課題は二つ。・サービス面・若年層の認知度の低さ
定点カメラを設置し子供の集中時間を調査
そのマイナス面を向上させるべく、さっそく、生徒たちは12月20日にイベントを企画した。市内にある保育施設「こども園」に通う親子14組を招待しての上映会だ。イベント中は定点カメラを設置し、スタッフのサービス面が行き届いているか? 子供は何分ぐらい集中して映画を観ていられるか? などを検証し、今後の参考資料にするという。参加した母親が語る。「豊岡では、映画を観に行くとしたら福知山(京都)まで出るか、神戸や大阪へ買い物に行くついでに観るかしかありません。ましてや幼い子供を連れてとなると、なかなか難しい。こういう観賞の機会があるとうれしいですね。子供も集中して観ていました」。
会員制度の導入で地域に根差した場所に
豊劇ではグランドオープニングと共に、会員制度の募集を行う。この組織作りにも西井ゼミの生徒たちが加わっているという。法人・団体会員(年会費10万円)とプレミアム会員(同5万円)には特典として、小ホールの1日貸し切り使用権も設けている。法人には福利厚生として、個人にはイベントの活用を提案している。プレオープンの最中にも、熟年夫婦がフラリと見学に現れ、大ホールのステージに目を輝かせながらスタッフに尋ねた。「カラオケの設備はあるかね?」。
またステークホルダー会員(同1万円)と学生ステークホルダー会員(同3,000円)には、年1回開催される豊劇運営報告会の参加権がある。利用者の生の声を活かしながら、地域に根差した場所を作り上げていくという。プロジェクトリーダーの伊木翔が語る。「子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、人が行き交う場所になればいいですね」。
独自の番組編成で目指す新生「豊劇」
もちろん、運営の基本にあるのは映画上映である。最高顧問に映画評論家の塩田時敏を迎え、独自の番組編成を手掛けていくという。石橋が語る。「都会ならばシネコンに対してミニシアターと住み分けができているが、地域に一つしかない映画館なので、『アンパンマン』も上映すれば、今までこの地域では観られなかった『365日のシンプルライフ』や『聖者たちの食卓』のようなアートドキュメンタリーも上映したい。なおかつ、宣伝が全国に行き届いている大作も上映し、『地元で観られるんだ』というプライドも欲しい。地域の文化的な許容力を広げていきたいと思うし、映画業界の方にはこういう形態をとっている映画館に対しても寛大であって欲しいと思います」。劇場はよみがえった。だが、本当の意味での豊劇新生プロジェクトは、はじまったばかりである。
ロビーに展示されているフィルム巻取機とフィルム庫が、良い味を出している
プレオープニングイベントでは、ピアニスト・柳下美恵の生伴奏によるサイレント映画『月世界旅行』と『学生三代記 昭和時代』が上映された。
27日のオープニング作品は『小野寺の弟・小野寺の姉』。主演の片桐はいりからは、ビデオメッセージで祝福するという。
大ホールは座席数を減らし、その分、テーブルを設置し、イベント開催時に対応できるようにした
古い映写機をそのまま残し、新たにデジタルプロジェクター2台を導入した
ロビーに展示している古い「映写室」の扉
ロビーでは劇場で使用していた椅子がそのまま活躍する
懐かしいリボンオレンジの自動販売機。劇場の所々に、懐かしい代物が鎮座している。
ロビーには、豊岡劇場と同じ1927年生まれの映画『メトロポリス』(フリッツ・ラング監督)のポスターが飾られている。