連載第8回 『情婦』(1957年)
名画プレイバック
SNSなどで即時に個人が情報を広く拡散することが可能な現代において、映画のネタバレは大いなる問題だ。近いところでは『ゴーン・ガール』が、原作同様に“どんでん返し”が大きな売りで、そこを語らずにどのように魅力を伝えればよいか頭を悩ませた同業者も多かったに違いない。エンドクレジットと共に、「結末は 決してお話しにならないように」というナレーションが流れる法廷ミステリー『情婦』(1957年)は、まさにネタバレ厳禁映画の最高峰だと言えるだろう。(今祥枝)
『情婦』は、アガサ・クリスティが1925年に発表した短編推理小説「検察側の証人」と、それを基にしたクリスティ自身による戯曲をビリー・ワイルダーが監督と共同脚色を手がけて映画化した。戯曲は1953年の初演以来、現在に至るまで繰り返し上演されている定番の演目となっているので、演劇ファンにもおなじみの題材か。原作、戯曲も有名で、舞台劇や豪華キャストによるテレビ映画『検察側の証人』(1982年)などもあることから、同じクリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』並みに本作のオチも広く知られているのかもしれないが、以下の本稿では結末については触れていない。
1952年のロンドン。老練な弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)は、大病をしたばかりで看護師ミス・プリムソル(エルザ・ランチェスター)に付き添われて、病院から事務所兼自宅に戻ってくる。「安静に!」と口うるさくプリムソルに言われるも、事務弁護士メイヒューが未亡人殺しの容疑者レナード(タイロン・パワー)を連れてきたことから、退屈の虫がうずうずとしていたウィルフリッドは独自のテストにパスしたレナードを無罪だと信じ、弁護依頼を引き受ける。だが、状況は極めて不利で、アリバイを証明できるのは容疑者の妻クリスチーネ(マレーネ・ディートリッヒ)のみ。やがて裁判が始まり、ウィルフリッドは法廷で検察側と激しい攻防戦を展開する。裁判の行方はどうなるのか? そして殺人事件の真相は……?
優勢かと思えば劣勢になり、新たな証言、新事実などが次々と出てきて状況は二転三転。“衝撃の結末”を待たずとも、法廷ドラマとして十二分に娯楽性に優れている。だが、何よりも本作を傑作たらしめているのは、見事に監督の意図にハマったキャストによる、圧倒的な個性と存在感を発揮している登場人物たちの造形の巧みさにあるだろう。
イギリス出身の舞台のベテランにして、オスカー俳優チャールズ・ロートン扮するウィルフリッドと、同じくイギリス出身の実力派エルザ・ランチェスター(実生活ではロートンの妻)が演じる看護師プリムソルの、実に愉快でリズミカルな会話で始まる冒頭からして素晴らしい。かっぷくのいいウィルフリッドは、看護師に飲酒や喫煙、不摂生を口やかましく注意されながらも、客人にタバコをせびったり、ブランデーをこっそり飲んだりとちゃめっ気もたっぷり。観客は瞬時にウィルフリッドの型破りで、どこか人の良さげな愛すべき人柄に心をつかまれる。
この導入部は非常に重要だ。ウィルフリッドに抱く親しみによって、観客は彼の判断を信用し感情移入する。ある時は、老弁護士が巧妙に仕組まれた罠に陥ったのではないかと心配したり、あるいは騙されたと見せかけて最後はかっこよく決めてくれるに違いないなど、観客は疑いもなくウィルフリッドの視点で物語を観るよう気持ち良く誘導される。
一方、レナードと妻クリスチーネは、あまりにも信用できないしうさんくさい。男前のレナードが語る未亡人との出会いや関係性は、多額の遺産の相続人となっていることからも話がうまく出来すぎている。演じるタイロン・パワーは“ハリウッド・キング”と称された二枚目スターで、俳優としての評価は今一歩ではあったが、本作の演技で新境地を開拓したと評されただけあってハマり役。20世紀最高のエンターテイナーのひとりである、マレーネ・ディートリッヒが演じるドイツ人妻クリスチーネの硬質な美貌とふてぶてしいまでの貫禄、存在感を前にして、レナードの気のいい伊達男ぶりが際立つ対比は絶妙で、「(レナードは)悪いやつじゃないんだよなあ」という思いを強くさせる。
当時のパワーとディートリッヒが、現在のどのハリウッドスターに例えると適当なのかはわからないが、今見ても彼らのスターバリューは十分に読み取れる。歌手としても高名なディートリッヒは回想シーンで、その歌声と、トレードマークだった“100万ドルの保険”を掛けたとされる脚線美も披露(当時56歳)。男前のパワーは、エプロン姿で卵の泡立て器をデモンストレーションするシーンなども楽しいが、ファンにとっては萌えポイントでもあったのだろうか。本作がパワーの実質上の遺作となってしまったことは、誠に残念である。
脚本家出身のワイルダーはコメディー作品の印象があるかもしれないが、出世作となった『深夜の告白』(1944年)はフィルムノワールの古典的名作とされるサスペンスだし、ワイルダー初のアカデミー賞受賞作となった『失われた週末』(1945年)は、アルコール依存症の恐怖を描いたドラマだ。そんなワイルダーの輝かしいキャリアにおいて、『情婦』は第二の黄金期の幕開けとして位置付けされている。本作で組んだ脚本家I・A・L・ダイアモンドとともに、この後、『お熱いのがお好き』(1959年)や『アパートの鍵貸します』(1960年)などコメディーの名作を生み出していくからだ。
『情婦』は、ハリウッド一の脚本家コンビとうたわれたチャールズ・ブランケットと離れて以来の、ベストマッチとなったダイアモンドと共同で手掛けた脚本の素晴らしさ抜きには語れないだろう。原作を読んでいたとしても楽しめる脚色がなされたトリッキーな事件の顛末は、ミステリーファンを喜ばせてくれると同時に、登場人物をふくらませて人間が持つ二面性をうまく物語に組み込み、ドラマに厚みを持たせている。何より全編を彩るユーモアが娯楽としての気軽さもあり好ましく、ジャンルにかかわらずワイルダー節は文句なく楽しい。
また、演出家としてのワイルダーは本作でも微に入り細に入りといった感じで芸が細かく、観客を飽きさせない工夫、とりわけ小道具の使い方は本当に天才的とも言える。法廷シーンは画的にも単調になりがちだが、傍聴席にいるプリムソルが薬を飲めとやきもきするやりとりが笑いを誘い、ウィルフレッドが机の上に薬を並べて何をしているのだろうと思わせるなど、こちらが退屈する暇を与えない。
ベテラン俳優同士の阿吽の呼吸に、大スターの意外な一面を観る楽しみ。さらに、ラストでは予想はしていても、まんまと乗せられてしまうどんでん返しのカタルシスが味わえるのだから、娯楽作としてこれ以上は望めないというほどの傑作だと思う。
今も昔も「内容は言っちゃダメだけど、衝撃のラストがすごい! という評判は広めて欲しい」という売る側の思惑、宣伝の手法は変わらない。いつから始まったのかはわからないが、『情婦』の後も『サイコ』(1960年)から『シックス・センス』(1999年)まで、ネタバレ厳禁が功を奏した映画には名作も少なくない。現在ではネタバレを公開時まで完全に守ることは不可能に近いが、映画が傑作であるならば、すべてを知った上で必ずもう1度観たくなることは間違いない。『情婦』もまた結末を知った上で観直したくなるし、いかに緻密に計算され尽くした作品であるかは2度、3度観てこそわかるはず。クリスティは、自身の原作の映像化作品の中で本作が一番お気に入りだったというエピソードもあるが、それも納得の出来栄えである。