漁師の父の死の真相を追ってたどり着いた、米核実験被ばくの規模に驚愕『X年後2』
戦後にアメリカが100回以上行った太平洋上の核実験で、被ばくが疑われるも、闇に葬られた日本の漁船乗組員たちの現実を追うドキュメンタリー第2弾『放射線を浴びたX年後2』の公開記念試写会&トークイベントが11日、東京・映画美学校で行われ、事件を12年間追い続ける伊東英朗監督と、本作の中心人物・川口美砂さんが登壇。二人は作品に込めた思いを語り、今後も変わらぬ姿勢で事の真相に迫るべく取材を続ける決意を見せた。
本作は、川口さんが2013年に出身地の高知県・室戸市に帰省したとき、妹に誘われてたまたま伊東監督の前作『放射線を浴びた[X年後]』を観たことがきっかけで、元漁師だった父の死に疑問を持ち、漁船員たちの遺族に聞き取りを行って、死の真相に迫っていく姿を追う。
1954年に、ビキニ環礁で操業中に水爆実験の死の灰を浴びたマグロ漁船「第五福竜丸」の事件と、日米間で極秘裏に交わされた幕引きの実態を明らかにする前作を観たとき、川口さんは「驚きました。衝撃を受け、そのショックは今も体に残っています」と話す。さらに川口さんは「わたしは漁師の子として生まれたにもかかわらず、2年前まで被ばくしたのは、第五福竜丸一隻だと思い込んでいたんです。何十年も、父の死について知らないままで来ましたが、知らないことは、まったくないことにされてしまうんですね。(前作から)自分で考え、行動する力を与えていただいた」と現在暮らす東京から室戸に戻って、聞き取りを続ける強い思いを明かした。
伊東監督も「太平洋で核実験が始まったのは、広島・長崎の原爆投下から、わずか10か月後の1946年です。日米の取り決めで、日本政府が魚の検査をしたのは、第五福竜丸事件後の10か月間だけ。それ以外は、すべての魚が水揚げされてきた」と語り、「第五福竜丸事件の2年前、1952年の段階で、核実験の影響から、日本列島全部が放射性物質に覆われていたことを示すアメリカ原子力委員会の文書も、去年発見しました。しかも、とてつもない量の放射能の雨です。この事実を解明し、人々に知らせる必要があると思い、本作で追いかけました。最終的に本作は『怒り』で作っています。これからも取材を続けます」と静かながらも、力強く語っていた。(取材・岸田智)
映画『放射線を浴びたX年後2』は11月20日まで愛媛・シネマサンシャイン大街道にて公開中、11月21日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開