映画監督に著作権はない…ネット配信台頭などで求められる新システム
映画監督を中心とした協同組合「日本映画監督協会」が創立80周年を迎え、設立日の26日、記念シンポジウム「映画監督協会って何だ!」を、映画興行発祥の地・浅草で開催した。『血と骨』の崔洋一監督(協会理事長)をコーディネーターに、伊藤信太郎氏(衆議院議員)、杉本誠司氏(ニコニコ動画)、野田聖子氏(衆議院議員)、福井健策氏(弁護士)、梶間俊一監督(同協会理事)らパネリストが、映画の著作権問題や、デジタル時代の映画保存・管理などについて、刺激的な議論を繰り広げた。
日本映画監督協会は、1936年年2月26日(2・26事件の当日)、伊丹万作、衣笠貞之助、伊藤大輔、村田実、牛原虚彦の5人の監督を発起人に設立。映画監督の地位向上、著作権の獲得を求めて、現行著作権法の改正運動を行っている。
まず口火を切ったのは梶間監督。「これを言うと驚く方も多いが、1970年の法改正後『映画の著作権は映画製作者(=会社)に帰属する』との規定で、45年間、映画監督に著作権は認められていないのです。確かに映画製作には多様な人が関与し、すべての人に著作権を認めるのは、流通・管理上、支障です。だから最大出資者に(権利を)一元化という発想になるが、では映画監督とは何なのかと問わざるをえない。矜持(きょうじ)の問題でもある」と協会の主張を代弁する。
これに福井氏が鋭く反論。「著作権者の一元化は、映画ファンが作品にアクセスしやすくする目的もあったはず。権利確認ができず上映できない、フィルム散逸などが起こっては、何の意味もない。世界的にデジタルアーカイブ化が進む中、日本は古いフィルムの残存率が低い国で有名です。さらに『製作委員会』という共同製作の方式が、再び権利分散も生んでいる。10年後、1社でも確認が取れなければ、その作品は観られないかも。監督の矜持とは権利取得なのか、自分の作品が長く観られ愛されることなのか。作品を死なせないため、監督も製作者も業界を挙げて取り組むべきでは」と提言する。
映画議員連盟会長を務める野田氏が「立法に携わる者として、映画ファン、つまり国民のメリットになることが大前提。映画は人が作るものだから、監督がベストな状態でいい作品を撮れるなら、監督の権利擁護も必要でしょう。ただそれとコンテンツ管理の問題は別に考えたい」と話すと、文化芸術議連事務局長の伊藤氏も「ネット配信が大きくなる可能性を考えれば、テクノロジーの変化に合わせ、映画に対する新しいシステムが必要になっているのは間違いない」と述べ、杉本氏と福井氏、梶間氏も「各人の権利を保護しつつ、映画の著作権を集中管理できるシステムの構築が必要」との意見で一致していた。(取材/岸田智)