青春の1ページ…岩井俊二作品が中国で愛される理由
上海国際映画祭のメイン会場・上海影城は、目当ての上映の開場時間を待つ若者で混雑していた。映画祭も後半の6月17日の夜、最も大きなスクリーンで上映されたのは岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』。20代から30代前半とおぼしき女性たちの姿が目立つ。映画祭期間中、同作の上映はこの一度きりということで、チケットは即完売。中国の日本映画ファンにとって岩井作品への注目度は特別であり、新作を心待ちにしていたファンの期待値の高さがわかる。
岩井作品は、なぜ「特別」なのか。ロビーで何人かに声をかけると、「初めて観た日本映画が岩井俊二の映画だった」「中高生の時に『リリィ・シュシュのすべて』にはまり、繰り返し観た」と皆口々に思い出を語る。ファンの中心は、「小清新(シャオチンシン)」と呼ばれる若者や、かつて「小清新」と呼ばれたアラサー世代。「小清新」の定義は広いが、もともと日本や台湾から伝わったナチュラルで落ち着いた美的センスの映画や文学や音楽を好み、ライフスタイルもそれらの影響を受けている若者たちを指すことが多い。岩井監督は「小清新の元祖」とも言われ、とりわけ『リリィ・シュシュのすべて』や『四月物語』は「小清新映画」の代名詞として、その映像美や世界観が中国の若者に愛されてきた。
『Love Letter』が好きだというアラサー世代の男性記者は、「描かれる情感がみんなピュア。今でもふと岩井監督の映画の一場面が頭に浮かぶことがある」と語る。彼のように、1980年代に生まれた「80後(バーリンホウ)」たちは、急激な経済成長で中国が大きな変化を遂げた時期に学生時代を送った。社会に出て、現実世界の厳しさもそこそこ味わった彼らにとって、岩井監督の作品は、懐かしい青春のあの頃に引き戻してくれる大切なアイテムであり、“青春の1ページ”でもある。近年、中国で多産されている青春映画の流行も、同様の心理によるものなのかもしれない。
『リップヴァンウィンクルの花嫁』上映の前日には、上海一の繁華街近くの劇場・大光明電影院で「公開20周年記念」と銘打った『スワロウテイル』の35ミリフィルムによる上映も行われ、こちらも満員御礼の大盛況。両日とも、上映後に岩井監督が登壇して質疑応答を行った。壇上を見つめる女性たちの視線は、映画監督というよりも、憧れのスターを見つめるかのように熱く、終了後もサインや写真撮影を求めるファンが後を追う。岩井監督を「教祖」と言う人がいるのもうなずける光景だった。
20年の時を隔てて撮られた2作品を連日鑑賞したファンの中には「以前の作品はガラスの壁で囲まれた世界のお話に思えたけど、厳しい現実社会に関わっていく作風に変わったと思う」と変化を指摘する人がいる一方で、より多かった意見は「何年たっても変わらず瑞々しい」という驚きの声。その理由を「自分の時間が20代半ばくらいのところで止まっているから」と舞台挨拶で語った岩井監督だが、中国での活動は止まることなく前進を続けている。
昨年中国で公開されたオムニバス恋愛映画『恋愛中的城市(原題)』にはプロデュースで参加。また、今月2日から10日にかけて、女優・シンガーソングライターの椎名琴音、作編曲家・ピアニストの桑原まこと結成した音楽ユニット「ヘクとパスカル」の中国ツアー(北京、成都、上海、西安、広州)を行っている。その他も複数のプロジェクトが進行中だという岩井監督。中国での活動には、独特の規制や予測の難しい政策の変更などリスクも少なからず存在するが、「あまり気にしていない」と軽やかだ。「それぞれの国に見えたり見えなかったりするレギュレーション(規制)があるし、そういう縛りがクリエイターを細らせたり弱めたりするものじゃないと思う。そこはより腕の見せどころになるんじゃないでしょうか」。岩井俊二の作品は、“青春の1ページ”では終わらない。(新田理恵)