アンティークの祝祭 (2019):映画短評
アンティークの祝祭 (2019)ライター3人の平均評価: 3
人生の終わりを悟った老女の想い出との決別
フランスの小さな村の大きな屋敷に住む資産家の未亡人が、ある朝突然、今日が自分の人生最後の日だと直感し、身の回りの高価なアンティークをガレージセールで処分し始め、疎遠になっていた娘が騒ぎを聞きつけて20年ぶりに母と再会する。それぞれの骨董品に詰まった家族の想い出。母と娘の胸に去来する喜びと悲しみの記憶。そこから炙り出される嘘と秘密。果たして何が真実なのか。本作ではあえてその核心に触れない。人の記憶は必ずしも正確でないからだ。そんな曖昧な過去に縛られて過ごすよりも、潔く決別することで得られる安らぎもあるのではないか。それもまた、誰もが避けられない老いの現実と向き合うひとつの方法かもしれない。
ドヌーヴが終活はじめたら
突然思い立ったかのように、くわえタバコでガレージセールを始める白髪姿のドヌーヴがカッコいい。しかも、彼女演じるヒロインは認知症が入っており、それにより謎が謎を呼ぶ過去がフラッシュバックで語られていく展開は、どこかミステリアスだ。そして、指輪や時計など、モノに対する思い出&こだわりエピソードを挟みながら描かれていく、疎遠だった母娘の心の交流。そんななか、旧知の神父やサーカスを巻き込んだ、まさかのクライマックスがスゴい。ジュリー・ベルトゥチェリ監督曰く“フェリーニ×イオセリアーニ×ピエール・エテックスへのオマージュ”なファンタジック・ホラー展開は読めなすぎる!
まだらボケ老女を演じてもドヌーブ様は美しい
登場人物の記憶とアンティークにまつわる思い出から老女クレールの人生を再構築する人間ドラマで、フラッシュバックの多用で集中力が削がれた。記憶が事実か否かという疑問も抱くし、マジックリアリズム要素も凝りすぎな感じ。ただし物語の核である老女と娘の関係性の変化は説得力があるし、女性として共感する部分も多い。心にしみる。クレール役のC・ドヌーブは認知低下の老女という難しい役どころだが、いかんせん美しすぎる。女性にとっての理想の老い方ではあるが、『愛、アムール』のE・リヴァくらい枯れてないと嘘っぽい。しかし監督の祖父母の家というお屋敷や庭、そこに点在するアンティークの美しさは格別なり。