坂本龍一のドキュメンタリー映画がアメリカで公開!監督が撮影を振り返る
世界的音楽家の坂本龍一に迫ったドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』がアメリカで公開され、メガホンを取ったスティーブン・ノムラ・シブル監督が、7月6日(現地時間)、ニューヨークのリンカーン・センターにあるエリノア・ブーニン・マンロー・フィルム・センターで単独インタビューに応じた。
【動画】映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』予告編
本作は、2011年の東日本大震災以来、被災地への訪問を繰り返していた坂本龍一の姿を追いながら、震災をきっかけに変化した坂本の音楽表現と日常の生活を、彼の数々の名曲と共に映し出した作品。映画『ロスト・イン・トランスレーション』の共同制作者などを務めたシブル監督が、2012年から約5年にわたって密着取材を行い製作した。
日本に住んでいた10代の頃、街中でよくYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の曲が耳にしていたというシブル監督。「親戚の家で、映画『戦場のメリークリスマス』のレーザーディスクを観たのを覚えています。1989年からニューヨーク大学で映画を学びましたが、当時、坂本さんも日本からアメリカに拠点を移し活躍し始めていました。僕自身も日本から来ているアーティストとして、その頃からリスペクトしていたんです」と当時を振り返る。
東日本大震災後の2011年5月、セントラルパーク近くの教会で行われていたある講演が本作を制作するきっかけとなる。「当時京大教授だった小出裕章さんが『日本の放射能汚染の実態』についての講演をしていました。僕は当時2歳の子供がいて、日本に子供を連れていって安全なのかが知りたくて参加していたんですが、坂本さんが最前列に座っているのを見つけました。イベント後、坂本さんが深々と頭を下げて小出さんに名刺を渡している姿を見て、日本は変わったと思いました。テクノロジーを象徴している坂本さんが、京大から来ている教授に深刻な雰囲気で話しかけてらっしゃるのを見て、何が起きているのだろう、坂本さんは今、何をしているのだろう、と思ったことが発端でした」。その後、衝動的に坂本に企画書を送ったそうだ。
ブラックミュージック、オペラ、クラシック、ボサノヴァなど、さまざまな音楽に携わり、映画内でも森林の中で音を聴いていたりする坂本。彼の音への探究心について、シブル監督はファンとしてものすごく惹かれていたという。「80年代の終わりから90年代初めは、ご本人いわく『ポップミュージックという方向に行こうとしていた』そうですが、いろいろな国の音楽を集めて、電子音楽と合わせたりもしていました。彼の感覚の中に(音楽は)無差別なものみたいな感覚があったと思います。クラシカルなトレーニングを受けているけれど、民族音楽にも詳しくて、同時に電子音楽もよく知っている。今のテクノロジーを使いながら、いろいろな古い音楽を取り入れる。ある意味で、早い段階で世の中を一つのビレッジ(村)として見ていた方だと思います」。
また、本作には、坂本の息子、空音央(そら ねお)も関わっている。「彼はわれわれの2人の撮影監督のうちの一人で、2014年からこのプロジェクトに関わっています。その理由は、坂本さんのご病気(中咽頭がんを患っていた)です。坂本さんには『撮影を続けたい』というご意向があったものの、そのときは病気が悪化するのか、治療ができるのかわからなかったため、彼のストレスを増やしたくないと思い、撮影を続けるにあたって、どうしたら良いのかスタッフ全員で悩みました。ちょうどその頃、映画を勉強していた音央くんが大学を卒業したんです。そこで、僕と彼の2人で撮影をすることになったんです」とシブル監督。映画内で坂本の背中が映っている印象的なシーンは、音央が父親の背中を捉えた映像だと付け加えた。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)