作品評:『ダラス・バイヤーズクラブ』

文=平井伊都子

 個人的に、分け隔てなく他人と接することができる人と、自分の意識変革ができる人を尊敬する。『ダラス・バイヤーズクラブ』には、そのどちらも登場する。1980年代、AIDSは、不特定多数間や同性間の性行為やドラッグ使用によって感染し、一度感染すると死に至らしめる奇病として恐れられていた。アメリカのテキサスは、ブッシュ元大統領親子の出身地として知られるように、全米一マッチョでコンサバ(保守的)な土地だ。1980年代のテキサスにおいてHIV陽性と診断されることは、今では想像もつかないくらいの偏見や差別にさらされることでもある。そんな中で起きていた実話は、闘病記ではなく、意識の改革の物語だ。誰にでも起こりうる絶体絶命の状況をどう乗り越えるか、そんなヒントと希望に満ちている。

 AIDSを引き起こすHIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染し、余命1か月と診断されたロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)は、酒・ギャンブル・女・ドラッグと何でもありの暴れ馬のような男だった。同性愛者がかかる病気としての認識しかなかったロンは自らも偏見や差別の目にさらされ、AIDSについて図書館でリサーチを始める。やがて、AIDSにはAZTという未承認の新薬があることを突き止め、女医のイブ(ジェニファー・ガーナー)に「俺にも処方しろ」と詰め寄る。「条件を満たしていないから処方できない」と断られたロンは、トランスジェンダーでAZTのトライアル(臨床試験被験者)となっているレイヨン(ジャレッド・レトー)と出会う。ロンは、毒性の強いAZTではなく、アメリカでは未承認ながら、より効果的な薬を扱うビジネスを思い付く。最初はレイヨンを忌み嫌っていたロンだが、ゲイコミュニティーに強く人当たりのいいレイヨンをパートナーに、ビジネスを拡大させていく。イブもまた、医師の使命と医療体制の矛盾にさいなまれていた。ロンはたった一人で医局と製薬会社、そしてFDA(食品医薬品局)との癒着を暴き、個人が健康のために薬を服用する権利を獲得する闘いに出た。

 イブやレイヨンは、偏見でガチガチだったころのロンにも、HIV感染後のロンにも態度を変えることはなかった。どんな状況においても、まして死と隣り合わせたときにもニュートラルでいることの難しさと崇高さを、この2人は体現している。多くの患者と接し、死にゆく人々を看取ってきたイブも、偏見にさらされながらも美しいトランスジェンダーであろうと孤高に生きたレイヨンも、ここに至るまでにたくさんの葛藤を乗り越えてきたはずだ。そして、この2人との出会いがロンを変え、彼を強くした。

 そして、人は意識を変革できるということ。テキサスのマッチョ男だったロンは、自身がHIVに感染したことによって知識を得て、同性愛者やAIDSに対する偏見を改める。最初は反感を持っていたレイヨンやイブと心を交わしていく。不治の病と恐れられているAIDSに立ち向かうため、図書館で資料を読みあさり、法や体制とも闘い抜いた。人間は変わることができる。それこそが難病の最も効果的な治療法だったのではないだろうか。

 ちなみに、『ダラス・バイヤーズクラブ』は今年の映画界をにぎわせている『ザ・イースト』(公開中)と『あなたを抱きしめる日まで』ともシンクロしてくる。人間はどう生きるべきか、図らずもそんな大層な課題を突き付けられるのも映画鑑賞の醍醐味(だいごみ)である。

筆者プロフィール:

平井伊都子(ひらいいつこ) / 編集、ライター。CUT編集部を経て、ニューヨークに5年弱滞在。現在は「ぴあ Movie Special」「BRUTUS」「T.[ティー]」などで執筆するほか、マスコミ用プレスやパンフレットの編集も手掛ける。