作品評:『ゼロ・グラビティ』

文=平沢 薫

 『ゼロ・グラビティ』は、3D映画の新たな可能性を切り開いた。技術よりもむしろ、3Dの使い方によって。

 そこは静かで、自分を束縛するものは何もない。完璧に解放されているが、自分を支えてくれるものも、守ってくれるものもない。このとき観客が感じるものは、映画の主人公ライアン(サンドラ・ブロック)が感じるものと同じ。やがて自分にとって大切なものは何なのかが、どんどん明確になっていく。そしてこのときライアンと観客の両者が抱く思いが、この映画のテーマそのものなのだ。大多数の映画は、観客にその物語の意味を読みとらせてテーマを伝えるが、この映画は観客を視覚・聴覚・体感まるごとその物語に放り込み、体感そのものをテーマにしてしまう。また、もともと3Dはリアルな体感の表現に適した技術だが、ほとんどの3D映画はそのリアルな体感をアトラクション的な面白さのためにしか使わない。だが、本作はその体感がテーマと直結しているところが、他の3D映画とはまったく違う。

 もう一つ、新鮮なのは、3Dで自在になったカメラの視点の使い方だ。CGで描く3D映像は、実際に撮影するのではなく、カメラで撮影したかのような世界を創るので、視点も移動速度も自由に設定できる。そこで大多数の映画は、アクション演出のためにカメラの視点をあちこちに動かすが、本作は違う。カメラの自由な動きは、物語を語るために使われるのだ。

 例えば冒頭の長回し。カメラは宇宙空間で作業をする人物たちから、次第に広大な宇宙空間を映し出し、また人間たちに近づいていくや、船外活動中のライアンのヘルメットの中に入っていき、彼女が宇宙空間を見る主観映像に切り替わると、しばし観客の視点と主人公の視点を重ね合わせて、再びヘルメットの外に出て客観的に宇宙を見せる。すると、さきほどライアンと一体化したばかりの観客の目には、もう宇宙は自分と関係が無いものには映らない。こうして、カメラの視点の変化が主人公と観客を同化させ、無重力の世界の物語へ一気に導いていく。

 こうした撮影効果や演出を見ると、3D映画にはまだ私たちが予測できていない可能性があるのではないかと思えてくる。『ゼロ・グラビティ』はそんな興奮を与えてくれるのだ。

 そんな本作だから、アカデミー賞ノミネート10部門中で、最も行方が気になるのは、エマニュエル・ルベツキの撮影賞だ。3D演出のコンセプトはアルフォンソ・キュアロン監督のものだろうが、それを実現したルベツキの貢献は大きい。実際の撮影ではないということは、映像の全てにゼロからの設定が必要だということなのだから。たそがれのはかない光線を捉えることに妙技を見せてきたこのカメラマンが、どれだけ緻密な計算を重ねたのか、本作の宇宙はリアルなだけでなく、ルベツキ独自の柔らかな光に満ちている。彼のアカデミー賞撮影賞ノミネートは今回で6回目。今度こそ初の受賞となってほしい。

筆者プロフィール:

平沢 薫(ひらさわかおる) / 映画ライター。「映画.com」「キネマ旬報」「SCREEN」などで執筆。SF・アメコミ・ファンタジー系など視覚表現で魅せる映画がお気に入り。現在は、ザック・スナイダー、エドガー・ライト、ダンカン・ジョーンズ、ジョシュ・トランクたちの新作を追跡中。