作品評:『それでも夜は明ける』

文=垣井道弘

 黒人奴隷の歴史や差別をテーマにした映画は珍しくないが、過去の作品と比べるとスティーヴ・マックィーン監督の『それでも夜は明ける』は、衝撃度が突出している。実話を基にした正攻法の伝記映画で、ストーリーがよくできているし、憎まれ役の白人俳優も含めてキャストが素晴らしい。今回の第86回アカデミー賞9部門ノミネートも納得できる。

 南北戦争で奴隷制度が廃止される前のアメリカには、黒人全体の約1割に相当する自由黒人が北部の各地に住んでいた。この映画の主人公ソロモン(キウェテル・イジョフォー)もバイオリン奏者として家族と平和に暮らしていたが、出張先で突然拉致され、南部の農園に売り飛ばされるのだ。黒人というだけで名前も自由も奪われたソロモンは、農園で12年間も家畜のような生活を強いられる。生まれながらの奴隷ではなく、知識も教養もあるソロモンの苦難の日々を見ていると、自分も鎖に繋がれた奴隷になったような気分に陥る。実話が持つストーリーの重さと緊張の連続でどっと疲れたが、その分だけ見終わったときの開放感も半端ではない。

 マックィーン監督の非凡な演出が際立つのは、農園の大工ティビッツ(ポール・ダノ)に難癖をつけられたソロモンが、首を縛られて庭の木に吊るされるシーン。爪先だけが地面に着く状態で放置され、爪先で立てなくなると死ぬしかない。生きるか死ぬかの瀬戸際にいる彼の向こう側では、白人の子供たちが無邪気に遊んでいる。子どもたちにとって黒人奴隷に対するリンチは特別なことではなく、日常的な出来事なのだろう。そんな子供たちがどんな大人になるのか、想像しただけで差別の根深さに慄然(りつぜん)とする。

 もう一つは、ソロモンが農園主エップス(マイケル・ファスベンダー)にもてあそばれた奴隷の少女パッツィー(ルピタ・ニョンゴ)をむち打つように命じられるシーン。自分が鞭で打たれる肉体的苦痛は我慢できるにしても、奴隷仲間を打つ理不尽な精神的苦痛は、むごいとしか言いようがない。人間は人種や立場が違うだけでここまで残酷になれるのだ。

 そんな絶望的な状況のソロモンを救ってくれるのがカナダ人の奴隷解放論者バス(ブラッド・ピット)である。一番おいしい役を人気スターのピットが演じているのだが、どちらかといえば地味なこの作品のプロデューサーを兼任することで、商業映画として成立させたピットの功績は大きい。

 今年のアカデミー賞は、技術部門が『ゼロ・グラビティ』、演技部門が『アメリカン・ハッスル』、作品賞が『それでも夜は明ける』に落ち着くのではないだろうか。アカデミー会員は映画業界で功績のあった白人の高齢者が多く、他の映画賞と比べて保守的だが、かつてスピルバーグ監督が黒人女性の自立を描いた『カラーパープル』が最多11部門の候補になりながら全敗した頃とは時代の空気が違う。アメリカ史の恥部を描いたこの作品で、黒人監督の初受賞を認めるのかどうか、アカデミー会員は踏み絵を迫られている。

筆者プロフィール:

垣井道弘(かきいみちひろ) / 1946年、広島県三原市生まれ。明治大学文学部卒業。週刊誌の映画担当記者を経て、映画評論家になる。1980年代から映画雑誌を中心に週刊誌、新聞で撮影現場ルポ、インタビュー記事、作品批評を数多く手がける。主な著書に『MISHIMA』(飛鳥新社)、『今村昌平の製作現場』(講談社)、『ハリウッドの日本人』(文藝春秋)、『緒形拳を追いかけて』(ぴあ)などがある。