日本でも絶大な人気を誇るレオナルド・ディカプリオが突然、俳優休業を宣言したのは昨年、2013年12月中旬。そのわずか数日後、最新作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のニューヨークプレミア直前に取材に応じたディカプリオは笑顔を浮かべていた。「何でも答えるよ、僕が答えられることならね」というディカプリオが、俳優としてのルーツ、最新作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に懸ける思い、そしてこれからのことを率直に語った。
(取材・文・構成:編集部 福田麗)
1974年11月11日生まれ。アメリカ・ロサンゼルス出身。1980年代からキャリアをスタートさせると、ジョニー・デップの弟を演じた1993年の『ギルバート・グレイプ』で大ブレイク。同作ではアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、一躍注目を浴びた。そして、メガヒットを記録した1997年の映画『タイタニック』でハリウッド一流スターとしての地位を確立した。以降は『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)、『アビエイター』(2004)、『インセプション』(2010)などの大作・話題作に出演するなど、名実共にハリウッドを代表するスターになった。その一方で、アカデミー賞には恵まれておらず、4度目のノミネートとなった『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で悲願の初受賞を狙う。
俳優としての僕が最も誇りに思っているのは、12歳のころから俳優になりたいと思っていたことなんだ。なぜなのかはわからないけど(笑)。たぶん、人間の本能みたいなものなんだろうね……他人を楽しませたいと思う人もいれば、思わない人もいる。僕の物心ついてからの最初の記憶は、ステージに飛ぶように上がったことなんだ。コンサートなのか、何かのお祭りだったのか……連れて行ってくれた父親に「レオ、あそこに上ってみろ!」ってけしかけられたのは覚えているよ。そしたら、なぜか観客が拍手をしてくれた(笑)。今でも、ステージに上がったときの興奮の原点といえるのは、あの時のことだ。そしてどこかの時点で、世の中には俳優という職業があることを知った。本当の意味で、演技で食べていくのがどういうことなのかをわかっていたとは思わないけれど、それで僕は俳優になろうと思ったんだ。父親の影響も大きかったし、義兄がCMとかに出ていたのも大きかっただろうね。そして、僕は本当に俳優になった。そのことは誇りに思っていて、以来、僕は何も変わっていない。演技についてもそうだし、どういった作品に出るのかということも含めて、全てね。
僕は、人間の本性をダークに描いた作品が好きだ。それで何かを分析しようというわけじゃない。ただただ、興味深いんだ。例えば、『市民ケーン』『レイジング・ブル』『グッドフェロ−ズ』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』……これらはどれも好きな作品だよ。共通しているのは、題材が何であれ、人間の本質を描いているということだ。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』もウォール街についての物語という以上に、人間の本質に迫る物語だ。だからこそ、僕たちは映画の中で株式のことについて詳しく説明しようとはしなかった。観客に理解してほしかったのは「彼らはどう考えても悪いことをして、成功した。それからどうなった?」ということなんだ。それと、僕が役を演じるに当たってリサーチを始めた時、すぐに気が付いたのは、ウォール街に住んでいる人々の背景には、もっと大きな物語があるということだった。それは言葉にしてしまえば、資本主義の論理というやつかもしれない。とにかく、彼らの後ろにはもっと大きな何かがあって、彼らはその中の一部でしかないんだよ。そういう意味において、これは今、僕たちが生きる時代を反映した物語だと思った。今世の中は確実に悪い方向へと向かっているけど、それでもとにかく、この物語の主人公ジョーダンは、自分にとってだけ正しいことをやり続けている。だから彼は、何かに追われているかのようにひたすら金を稼ぎ続け、使い続ける。けれども、彼らは自分たちが思い描くアメリカンドリームに手が届かないでいる。そういうアメリカンドリームの崩壊がテーマとしてあるんだ。
正直言って、この映画がどんな反響を呼ぶのか、僕には全くわからないよ。僕自身は、この脚本は本当にいかれていると思ったし、こんないかれたことを実際にやった男がいたことに驚いた。中でも感銘を受けたのは、物語の終盤近くにあるシーンのスピーチだね。こんな感動的なまでにナルシシスチックで身勝手なスピーチは後にも先にもないだろう。はっきり言って、不愉快だ(笑)。でも誤解しないでもらいたいのは、この映画で不愉快だと思うのは、この映画に対して正しく向き合っているということなんだよ(笑)。最初から最後までキャラクターが不愉快であり続け、結局何も成長しない。そんな現代の「カリギュラ」みたいな作品が、こんなハリウッド大作として成立しただなんて今でも信じられない。こういう題材は普通、ハリウッドでは真っ先に敬遠されるんだ。大衆受けするはずがないと言われてね。もちろん、テレビゲームやテレビドラマでは過激な題材を扱うことはあるけれど、より莫大な費用が掛かる映画では、そういう題材を扱うのはリスキーなビジネスなんだよ。僕がそうした流れを感じるようになったのは、2006年の映画『ブラッド・ダイヤモンド』くらいからだったかな。あの作品はスタジオが出資してくれたのか今すぐは確認できないけど、ああいう作品はなかなか採算が取れないんだ。僕自身は出演作の興行収入を気にすることはないけれどね。今は大作といえば、スーパーヒーローが出てきたり、10分ごとに爆発が起きるような映画じゃないとお金が集まらないのが現状だ。だからこそ、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のような作品にお金を出してくれる人がいたのは素晴らしいことだったね。この作品はスタジオの出資を受けていないから、本当に自由で、だからこそ毎日がチャレンジだった。だって、これまでに誰もこんな規模でこういう映画を撮ったことがないんだ。次はどんなことをすればいいんだろう?とみんなで頭を悩ませたよ。でもそれは裏を返せば、自分たちが本当は何をやりたいのかを考えるいい機会でもあったんだ。
『華麗なるギャツビー』『アビエイター』『J・エドガー』……と、僕はたまたま、それぞれの時代のアメリカを象徴するようなキャラクターを演じてきたわけだけれども、ジョーダンもその一人だろうね。でも、彼らとジョーダンが何よりも異なるのは、ジョーダンには何のバックストーリーも屈託もないことだ。あるのは「ただ金を稼ぎたい」という思いだけで、その理由はどこにもない。だから彼はとにかくリッチに、何の屈託もなしにリッチになっていく。一昔前ならば、それでもアメリカンドリームの成功者と呼ばれたのかもしれないけれどね。これは僕の母の話だけれど、彼女はドイツから移住してきた。アメリカに来る前は、みんながみんな、ポストカードに描かれているような、夢のようなカリフォルニアライフを送っていると思っていたらしい。どれだけ貧しくても一生懸命働けば、いつかは裕福になれる……そんなアメリカンドリームを胸に抱いて、アメリカにやって来たんだ。でも、彼女が目にしたのはブロンクスの街角でドラッグや犯罪にまみれた人々の姿だった。アメリカンドリームの時代はもう終わっていたんだ。その後、母は西部に来て、僕が生まれた。結果的に言えば、僕は母が夢見たようなアメリカンドリームの成功者になったんだろう。でも、それもこれも放課後にオーディションに行くように進めてくれた両親のおかげだ。僕はハリウッドに生まれて、ずっとロサンゼルスで育ってきたから、あの街がいかに危険かということは身に染みてわかっている。ここにいる人たちは毎日誘惑され、自信過剰や尊大さに溺れかかっている。実際、僕にも誘惑やら何やらはたくさんあったよ。でも、僕はそうしたものには見向きもしなかった。僕の考えは、どんなに才能があっても、しかるべき時にしかるべき場所にいなければ意味がないということ。僕は素晴らしい機会を与えてもらったことを幸運に感じているから、これを無駄にすることは絶対にしない。映画の中のジョーダンと僕は、そこが決定的に違うと思う。まあでも、もしかしたら、一歩間違えば僕も、ジョーダンみたいな生活をしていたかもしれないね(笑)。
今年の誕生日を迎えたら40歳になるんだけど、まだまだ40歳になったという気はしないね。僕の周りにも40歳以上の友達はいるけど、40歳らしい振る舞いをしている人はいないしね(笑)。今のところは何の変化も感じてはいないかな……今のところは、だけど(笑)。けれども実際、僕たちの世代は、上の世代とは少し違うところがあると思う。だから、40歳という年齢が持つ意味も異なるんじゃないかな。俳優として言えば……僕にはまだまだやるべきことがある。監督の仕事に興味を持ったこともあるけれど、実際にやれるのはもう少し先になるだろうね。僕はスティーヴン・スピルバーグやマーティン・スコセッシといった名監督と働いてきたけれど、あくまでも俳優として一緒に働いただけで、監督として彼らから何かを学ぼうとは思わなかった。まあ、それでも監督が大変な仕事だというのはわかったけれどね(笑)。だって、僕たち俳優が仕事を終えても、監督には編集やら何やらのポストプロダクション作業がある。単純に時間的な問題だけでも、本当に大変だと思う。もっとも、マーティンなんかは僕が「監督をやりたい」と言ったら「やればいいよ」と無責任に言うんだろうけど(笑)。でも、さっきも言ったけれど、僕にはまだまだ俳優としてやるべきこと、学ぶべきことがある。僕が本当の意味で俳優になれるのは、アカデミー賞を獲得したときじゃない。俳優として全てをやり尽くして「やめたい」と思ったときに初めて、俳優になれるんだと思うよ。