昨年10月に全米で公開されるやいなや、本年度アカデミー賞の最有力候補に躍り出た『ゼロ・グラビティ』。トラウマを抱えた科学者(サンドラ・ブロック)が宇宙での漂流を通じて、 生きる希望を再び見出していくさまを描いた同作は、日本でも大ヒットを記録している。本作の製作を手掛けたデヴィッド・ハイマンが、映画作りの神髄を語った。(取材・文・構成:編集部・福田麗)
1961年7月26日生まれ。イギリス・ロンドン出身。ワーナー・ブラザースやユナイテッド・アーティスツでプロダクションマネジャーとして働いた後に独立し、1997年にヘイデイ・フィルムズを設立した。同社、そしてハイマンが手掛けた中で最も知られているのは、世界的ベストセラーを2001年から10年かけて映画化した『ハリー・ポッター』シリーズ全作だ。その一方で『アイ・アム・レジェンド』(2007)といった作品も手掛け、プロデューサーとしての評価を高めた。『ゼロ・グラビティ』は、ハイマンが『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004)のアルフォンソ・キュアロン監督と再タッグを組んだ作品で、ハイマンにとっては『ハリー・ポッター』に匹敵する成功を収めている。
この作品は、アルフォンソ・キュアロン監督とその息子ホナスの脚本から始まりました。実は、わたしとアルフォンソは『ハリー・ポッター』の後に別の作品をやろうとしていたんです。でも、その作品は2008年の金融危機でダメになってしまった。そういう経緯があったので、脚本を読ませてもらった時は興奮しました。脚本が好きだったのはもちろんですが、アルフォンソとまた一緒に働けることがうれしかったんです。正直なところ、わたしはアルフォンソのことを信頼していますから、どんな脚本が来ても歓迎していたと思いますよ。ただし、誤算だったのは、この作品がここまで大変だとはわたしもアルフォンソも思っていなかった(笑)。90分の長さで、俳優は2人。しかも舞台は宇宙という限定された空間なのだから、もっと簡単な作品だと思っていたんですが……とんでもない、これまでのどれよりも大変な作品でした(笑)。それも全てはアルフォンソが監督だったからです。アルフォンソは、決して楽をしようとせず、絶対に妥協しない。この映画でいえば、観客には映画の中に入り込むかのような体験をしてほしかった。そのためには無重力空間での12分や8分のロングショットが必要だった。これはもう絶対にごまかしが利かない。だから、新しいテクノロジーを開発しなければいけませんでした……ああ、それから撮影が終わってからも、VFX(視覚効果)にはとても時間をかけましたね。それもこれも、無重力というイリュージョンをスクリーンで見せるためです。確かに大変でしたが、その分、素晴らしい作品になったと思っています。
プロデューサーの役割は監督をサポートすることだと信じています。監督が自由な作品作りをできるようにセキュリティーを整え、周囲の雑音を遮断し、ビジョンを実現するために必要な情報やツールを提供する……もちろん監督によって、細かい仕事の内容は変わります。でも、プロデューサーの役割は常に「監督をサポートする」というところにあります。アルフォンソの場合は、明確なビジョンがありました。それも、「これまでに誰も経験したことがなかった映画体験を提供する」という明確なビジョンです。ただしそれは、これまでに誰も経験していないために、監督以外の人には理解が困難なものでもありました。だからわたしは、アルフォンソのビジョンをできる限り尊重し、他の人にもそれを信じてもらえるようにしました。それは、この映画の製作で最も大変な作業でしたね。映画というのはどの作品もそうですが、この作品はとりわけ、完成しないとどんな作品なのかというのがわかりにくい。この作品は脚本に書かれた言葉ではなく、「映像の力」で語る作品だったからです。だから、撮影が終わったとしても、CGなどのポストプロダクション作業がなければ、ほとんど作品としての意味をなしていない。ですが、こういう大作をスタジオと作るときは必ずといっていいほど、テスト試写があります。そのときはまだ加工もしていない映像を見せて、なおかつスタジオに「作る価値のある作品」だと納得してもらわないといけない。即座に結果が求められるのです。それをクリアするのが非常に難しかったですね。
この映画がここまでの成功を収めるとは誰も思っていませんでした。ですが、わたしが最も誇りに思っているのは、この映画は批評的・興行的に成功したことよりも、わたしがこの映画のことが大好きだ、ということです。もちろん、他の人が感動してくれたり没頭してくれたりするのは素晴らしいことです。けれども、究極的には、人は自分のためにしか映画を作れないのだと思います。わたしたちにできるのは、自分の好む作品を作り上げ、なおかつ他の人がそれを好きになってくれるように祈ることだけです。逆に言えば、最初から多くの人に好かれるために作品を作るのは危険なことだと思います。作り手としては、やはり映画を作るからには観客に共感してもらいたい。ですが、映画製作というのは、自分の内側から湧き上がってくる何かが必要なのです。外からの刺激ではありません。もしもわたしたちが、そうした何かを自分の外に求めたら、出来上がったものはアートではなく、単なるプロダクト(商品)に成り下がってしまうでしょう。アルフォンソが素晴らしいのは、そのことをよく理解している点です。例えば、『ゼロ・グラビティ』は、当時、彼がプライベートでとても難しい問題を抱えており、その時の逆境が脚本に反映された作品です。宇宙を舞台にするというのは、そうした逆境をいかに視覚的に、身体的に表現するか?と考えて、行き着いたそうです。だから、この作品は彼の個人的な表現であり、パーソナルなものの表出です。そしてもちろん、そこにはプロデューサーとして、わたしのパーソナルなものも反映されています。わたしが関わった映画はそれぞれ、メガホンを取った監督の個性が出ていますが、どういうわけか、主人公がアウトサイダーであったり、どこか世の中の流れから取り残されてしまった人であることが多い。そして、彼らが他の人々とつながることで大きな力を生む。そうしたものは、わたしの経験に根差したものなのでしょう。でも不思議なことに、パーソナルな作品だからといって、人に共感されないことはありません。むしろパーソナルであるからこそ、観客は共感するんです。そのことを理解していなかったら、出来上がった作品がここまで多くの人に受け入れられることはなかったでしょう。
わたしたちは、アカデミー賞をはじめとする映画賞を念頭に作品を作ることはしません。もちろん、ノミネートされたり、受賞すればうれしいです。でも、それはわたしたちが頑張ったことに対するご褒美のようなもので、ゴールではありません。ただし、商業的な成功を収めたことで変わることもあります。『ハリー・ポッター』の後、わたし自身のプロデューサーとしての立場は間違いなく変わりました。良い面を挙げるのなら、これまでには来なかったようなプロジェクトがどんどん来るようになったことでしょう。それはプロデューサーとしてはとてもうれしいことです。逆に悪い面は、そういったプロジェクトは難しいものばかり、ということでしょうか(笑)。ただし、状況は変わったかもしれませんが、わたし自身はそこまで変わったとは思っていません。素晴らしい映画を、素晴らしいフィルムメーカーと作りたい。映画を観に来てくれた人が笑ったり泣いたり、感動したりする映画を作りたい。そのことに尽きます。わたしは何よりも、自分が自分に対する最も厳しい批評家でなくてはいけないと思っていますから、『ハリー・ポッター』にしろ、『ゼロ・グラビティ』にしろ、見返すと、「ここが良かった」という点よりは「ここはよくなかった」「こうすれば、もっと良くなった」という点が目についてしまうのです。そして気が付いた点を、次に生かす。そうすることでしか、いい作品は生まれないとわたしは信じています。実際、仕事の手順も変わっていませんね。映画を作るときは、いつも全てが白紙の状態です。脚本を読んで、どうやったらこれをベストな作品にできるかを考える。もしくは本を読んで、これをどうしたらベストな脚本にできるかを考える。スタート地点はいつも、いつでも同じです。そして監督が決まれば、今度はその監督が、映画製作を通じてどのような夢を描いているのかを理解しなくてはいけません。それができたとき、その監督の夢はわたし自身の夢にもなり、また、映画作りが始まるんです。