her/世界でひとつの彼女 (2013):映画短評
her/世界でひとつの彼女 (2013)ライター6人の平均評価: 4.5
アクリル板の半透明な色彩がこの恋の感覚。
作中、「OSに恋するなんて」と奇異な目を向けるヒトビトが出てはくるが、もはやそちらの方が希少種じゃないかとさえ思える現在を象徴する純愛映画。主人公が人と交われぬオタクかというとそうでもなく、長く年月を共にした妻との別れから立ち直れないでいる、ある時期の男性(ま、文化系のロマンティストではあるが)というのも普遍的だ。こうした題材を選ぶと必然的に浮かび上がるのが精神性と肉体性の問題。主人公は精神的な愛情を欲しているのにAIのほうが肉体性を求めたり、AIにとっては当たり前な “ある事実”で主人公が崩壊したり(これは哀しくも可笑しい)……かなり理詰めに展開してこのラスト、ってのがまた皮肉でイイ。
スパイク・ジョーンズのロマンチストぶりが炸裂!
今よりも明らかにテクノロジーが発達した、しかし今とそれほど大きく街の景色が変化しているわけでもない、ほんのちょっと先の近未来という設定が物語に親近感と説得力を持たせる。
妻と離婚協議中の孤独な男が恋に落ちた相手は、PCにインストールされたAI(人工知能)の女性。実際、漫画や小説の架空キャラに恋する人もいるのだから、自分の意思や感情があって、いつでも相談相手として寄り添ってくれるAIに特別な感情を抱くのも無理はない。
人間よりも人間らしい機械の存在を通じて、逆に人と人が惹かれあい、心を通じあう事の原点を見つめる。S・ジョーンズ監督のロマンチストぶりが微笑ましい、柔らかな恋愛ファンタジーだ。
やがて古典的名作として語られるであろう普遍的ラブストーリー
普遍的な愛とは何かを掘り下げたデリケートな映画だ。孤独な男がAIとの会話に癒され、恋に落ちる。スカーレット・ヨハンソンの声によるAIは、賢くも優しくセクシー。やや褪せた近未来を描く撮影とカレン・Oの物憂げな主題歌が、さらに詩情を豊かにする。
互いを知る悦びを経て愛は高揚するが、長続きしない。人間性を学んだAIが、別の相手に惹かれ進化する様は、現実と何ら変わらない。欠落した自分を埋めるようにして強烈に相手を欲する、自己愛の限界。どんなに時代が進んでも変わらぬ人間性。AIとの愛が現実になるであろう数十年後には、切実な想いを託し古典的愛の名作として語る、寂しげな人々が続出しているに違いない。
人工知能であろうと、男は女にはかなわない!?
“人工知能を描いたのではなく、愛と結びつきを描いた”とスパイク・ジョーンズ監督は力説するが、OSは今や現代人の生活と切り離せないもの。そんな切り口に引き寄せられるのは否定できない。
OSに恋をした主人公のダメ男ぶりに共感を抱かせ、それがどうなるのかをトコトン突き詰める。ダメを風刺する視点は皆無で、『かいじゅうたちのいるところ』と同様の、優しさに満ちたジョーンズのまなざしが光る。
この恋が成就するのかは見てのお楽しみとして、人工知能の思考が人間のそれを凌駕してしまう点が興味深い。ダメ男にとって女性はつねに“上を行く”存在。そんな現実が見えるという点で、ジョーンズの主張に共感できた。
肉体接触を超えた魂のつながりこそ真の愛?
IT化が進んだ近未来でAIと人間が恋に落ちる設定がまずユニークだ。主人公セオドアはAIサマンサと話すうちにどんどん彼女に惹かれていくが、あらゆる情報を瞬時に収集&分析するAIにとって孤独な男性の気持ちをアゲながらの会話なんてお手の物。ビバ、サイバー・ホステス! 実は彼女の手の平で遊ばれているのだが、孤独なセオドアが天にも昇る心地。自分のことを100%理解してくれる存在は何物にも代え難いし、実体がないサマンサだからこそシャイなセオドアも本音をさらせたのかもしれない。この関係を空しいと感じるかどうかは見る人次第だし、私は肉体接触を超えた精神的つながりこそ真の愛かもと思ってしまった。
孤独な都市生活者のコミュニケーション・レッスン
「近未来」というと荒廃したディストピアしか提示できないSFが大量生産される中、快適なデジタル環境を整えるヴィジョンの独創性にシビれた。摩天楼とビーチに車なしでアクセスできるL.A.。その中で「都市生活者の孤独」というN.Y.時代のウディ・アレンが描き続けた主題をアップデートしてみせる。
言わばSFでも「すこし・ふしぎ」(©藤子F)系寓話。スパイク・ジョーンズはロボットの恋物語である珠玉の短編『アイム・ヒア』まで、喪失感を抱えた主人公の世界との接点の回復を描いてきたが、本作もラブストーリーよりコミュニケーション・レッスンの傑作と言える。AIのサマンサが放つ言葉はいかにもカウンセラー的なのだ。