騙し絵の牙 (2020):映画短評
騙し絵の牙 (2020)ライター6人の平均評価: 4.5
見事な脚色に拍手
原作からブラッシュアップされた脚本が逸品だ。特に恋愛部分の排除。むしろここは「女性観客向けに恋愛要素を入れるべき」とする映画界の古い価値観に囚われた人たちがねじ込んでくる部分だが、この英断がクセ者たちが蠢く出版界の狂騒を例え風刺を込めてシニカルに描いていたとしても、プロの現場の厳しさと文化芸術に携わる人全てへの愛が根底にあることが伝わってきて観賞後の爽快さに繋がっている。そして、この狂騒の象徴である國村隼演じる大御所作家の存在の素晴らしさたるや。韓国映画『哭声/コクソン』の怪演といい、毎度予想だにしないキャラクターで登場して作品を盛り上げる俳優はいるだろうか。しみじみと良い俳優だ。
松岡茉優の存在が、映画に楕円の曲線を描いてゆく快感
まず、攻めた脚色に拍手を。激しく摩擦しあうことで互いに止揚され、なおも言葉で撃ちあう各キャラクターの造形が際立っている。そして演出にも。ドライな肌触りと、しかしジワリと体温を滲ませる二段構え。単なる“騙し合いバトル”ではなく、「椅子取りゲーム」の中に(時代を)サバイヴする者たちの矜持と業とが浮かびあがってくるのだ。
大泉洋演ずるピカレスクな編集長が定点Aとなり、定点Bを担った新人編集者役、松岡茉優の存在が映画に楕円の曲線を描いてゆく快感もたまらない。特に屋上での“風景”に関するヴィヴィッドな対話に唸った。終盤の怒涛の繋ぎ、時間軸が複雑に交錯していく編集の妙もまた「吉田大八ワークス」の真髄だ。
騙し合いのドラマだが気分は爽やか
騙し合いのドラマだが、見た後の気分は爽快。それは、登場人物たちがみな、そのやり方はいろいろあっても、とにかく前に進もうとする人たちばかりだからだろう。本作はたまたま出版業界を舞台にしているが、今はどんな場所にいても、想定以上の速度で変化していく周辺事情の中で、これまでのやり方を続けていくことが出来なくなっているという状況は同じなのではないか。そんな中、登場人物たちが、自分は何をやったら面白いのかを追求して動き回る姿が痛快。ストーリーが軽快に進み、騙しのドラマが重くならないのは、主人公を演じた大泉洋の持ち味の影響もありそうで、原作小説の主人公がこの俳優を念頭に書かれたというのも納得。
崖っぷちで会った人だろ
吉田大八の合法闘争的なパンク精神に痺れる。『桐島』の学校群像が自己責任社会という戦場の縮図だったように、出版社の企業内パワーゲームの枠組みで急速に変わりゆく世界構造を批評的に描出した傑作だ。インディーズ映画の雄・塚本晋也のキャストイメージは個人書店とミニシアターを繋ぐ。グローバリズムとローカリズム。「大」も「小」も各々の闘い方があるということ。
奇しくも同日に日本公開『ノマドランド』と同じくAmazonについて言及あり。「新しい世界」での文化生存論。トリックスターたる大泉洋は『ニッポン無責任時代』等の植木等を連想させ、「枯葉」を仏語で歌い出す文豪(國村隼)など極上にパロディックそして本気。
『罪の声』に続く、塩田武士原作の映画化
大手出版社で起こる保守派と改革派の内部抗争という話だけに、どこか時代劇なノリもあり、描き方次第では「半沢直樹」にもなるだろう。だが、そこは吉田大八監督作であり、じつにスマートな演出で、入り組んだ設定を捌きまくり、LITEの劇伴とともに軽快なテンポで魅せていく。愚痴りまくった劉備から一転、牙を隠したキレ者編集者を演じる大泉洋はもちろん、彼の部下を演じる松岡茉優の巻き込まれ芝居は絶品。しっかり観客をダマす展開のほか、出版業界の仕組みや書店の現状なども丸わかりで、いろいろと期待を裏切らない。『罪の声』に続き、塩田武士原作としても成功していることから、今後も映画化が増えていくだろう。
原作にやられた人こそ
最初の最初から大泉洋で当て書きしてされてきた小説を当然のごとく大泉洋主演で映画化。
ここまでは読めましたが、映画本編を見たら見事なくらいに裏切られてしまいました。
映画のストーリー自体も二転三転する裏切りと逆転の映画になっていますが、それ以上に原作にのめりこんだ組だったこともあり、よもやこんな映画になってくるとは思いませんでした。見事なまでの再構築、しかし確かに『騙し絵の牙』であり、“映画の騙し絵の牙”に仕上がっています。邦画で久しぶりに切れのある裏切られるカタルシスを味わえる作品が登場です。