略歴: 映画評論家。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『シネ・アーティスト伝説』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」「キネマ旬報」「Numero TOKYO 」などでも定期的に執筆中。※illustrated by トチハラユミ画伯。
近況: YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』でMC担当中。11月2日より、ウェストン・ラズーリ監督(『リトル・ワンダーズ』)の回を配信中。ほか、想田和弘監督(『五香宮の猫』)、空音央監督(『HAPPYEND』)、奥山大史監督(『ぼくのお日さま』)、深田晃司監督(『めくらやなぎと眠る女』日本語版演出)、クォン・ヘヒョさん(『WALK UP』主演)の回等々を配信中。アーカイブ動画は全ていつでも観れます。
2023年から2018年へ。どこかリンクレイター監督『ビフォア』シリーズの遡行版の如き連作的な二部構成。『泳ぎすぎた夜』で青森の雪の風景を捉えた五十嵐耕平監督が、今作では伊豆のリゾートで波にさらわれた様な恋の次第を見つめる。コロナ禍の空白を挟み、喪失から出会いに立ち戻る異色のヴァカンス映画。やはり「時間」が主題として浮かび上がる。
より劇映画としての明瞭な輪郭を備えた後半部が驚く程素晴らしい。山本奈衣瑠演じる凪――「赤い帽子の女」は神代辰巳ならぬC・クロウの『エリザベスタウン』がイメージソースか。彼女が歩く姿はあのキルスティン・ダンストにも、『緑の光線』のマリー・リヴィエールにも見えてくる。
なんて品のある語りだろう。原作者の五十嵐大をモデルにした「ぼく」――その小学生時代を演じる加藤庵次から、吉沢亮がバトンタッチするように自転車に乗って現れた時のスイッチングも鮮やか。どこまでも映画的に、実話をフィクションとして再構築する際の適切な節度が隅々まで行き届いた傑作。港岳彦の脚色も素晴らしく、爽やかな感動を生み出す。
現実音の有無で「ふたつの世界」を体感させるサウンドスケープの拘り。忍足亜希子、今井彰人、長井恵里ら『コーダ あいのうた』の成果をさらに前進させるキャストの充実。監督は呉美保。息子の視座から見た家族模様など彼女のオリジナル脚本によるデビュー作『酒井家のしあわせ』にも通じる。
新鋭・空音央監督(91年生)が描く近未来のヴィジョン。ミックスルーツを含む高校生達が生きているのはポスト3.11という「政治の季節」だ。100年前の関東大震災時に准えられる様な人種差別や移民排斥等のバックラッシュ。岡林信康の「くそくらえ節」使用に驚くが、全体的に想起するのは大島渚の『日本春歌考』。レベルミュージックとしての春歌がテクノ音楽に置き換わった趣と言える。
批評的視座から日本を映したディストピアSFでもあり、都市空間(主に神戸ロケ)の建築的な捉え方も秀逸だが、核は青春/友情の瑞々しい祝祭と惜別。前衛の洗礼を色濃く受けつつ、ウェルメイドな設計で作品の輪郭が支えられているのもユニークだ。
『LETO』ではブレジネフ時代の末期、『インフル病みのペトロフ家』では04年のロシアにソ連の回想が絡まる多層構造で母国の現代史を抉った鬼才セレブレンニコフが、本作で扱うのは19世紀後半の帝政ロシア。今日も国家的アイコンとして讃えられるチャイコフスキーの神話解体だ。内容はケン・ラッセル監督の『恋人たちの曲/悲愴』(70年)と重なるが、妻アントニーナの主体や視座を軸に壮絶なリアリズム×幻想譚の形に仕上げた。
恋愛劇としては地獄巡りそのもの。独特のカオス表現を支えるサウンドデザイン(前作に続きボリス・ヴォイトが担当)も圧巻。このロシア的なるものの探究は、監督の次作『リモノフ』にどう繋がるのだろう。
合衆国を分断するテキサス・カリフォルニア同盟vs政府軍の内戦。日本なら『翔んで埼玉』流のジョークで済むだろうが、本作は大統領選を控えた2024年の実相を1861年からの南北戦争の再来イメージ――21世紀Ver.として設計する。ドキュメンタルな恐怖と臨場感は、ヴェトナム戦争時の真っ只中で撮られた怪作『懲罰大陸★USA』にも近い。
物語はジャーナリスト物の定石が基本で、先輩・後輩の関係にK・ダンスト&C・スピーニーを置いたのが秀逸。全体は劇場体感型の戦慄のアトラクションだ。スーサイドの「Rocket USA」「Dream Baby Dream」といった選曲等に非主流派の感性をしっかり残している。