略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
クリスティの原作や最初の映画化に触れた身には、前作『オリエント急行殺人事件』と同様にミステリーの点で驚きはない。それでも本作を楽しめたのは、愛憎のエピソードを徹底的に濃くしたからだ。
1978年の映画化版は比較的、原作に忠実だったが、監督・主演のブラナーは“激しすぎる愛”を各キャラに投影する。彼が演じた名探偵ポアロにさえ、それが見えるのが新味。
原作信奉者に、この改変がどう映るかは思い入れの度合いにも依るだろうが、親子愛や同性愛を盛り込み、人を好きになることの意味を問うた点がオリジナリティであることは認めざるをえない。『オリエント急行~』が軽妙なジャズなら、本作は切ないブルースだ。
雪国で生まれ育った筆者の体験も影響しているかもだが、その寒さが生々しい恐怖として機能している点に目を見張った。
雪原での裸足状態、身体の末端に生じる凍傷、寒さの中での小刻みの震え。いつもは肉感的なミーガン・フォックスも危機に陥った瞬間から、まったくエロく見えなくなり、その受難に同情してしまう。
手錠跡に生じる傷や痣、血のりまでもが寒々しく、一方で手錠によってつながれた死体は重々しい。いわゆるスプラッター映画とは異なる温度。新鋭S・K・デールのセンスの良さの表われか。いずれにしても、この監督の次の映画が見たくなってくる。
基本的にはオリジナルの忠実な焼き直しだが、都市開発による瓦礫の山のショットからギャング団の抗争へと展開するオープニングに、リメイクの意味がある。
要所・要所はオリジナルを踏まえ、歌と踊りのスペクタクルをこれでもかと拡張。一方で、人種対立の無益というテーマは抑えられているが、それを生むのが体制側の都市開発であることを思うと興味深い。ストリートに勝者はいない。結局、誰もが敗者なのだ。
オリジナルではあいまいだったレイプの描写や、ギャングに入りたい女の子のトランスジェンダー的設定など現代目線のディテールも多い。そういう意味でもスピルバーグの野心を見た気がする。
白状すると、筆者は布袋の熱心なファンではない。BOOWY時代やソロのヒット曲をかじった程度だが、それでもグッときたのは映画そのものの熱気ゆえか。
40年のアーティスト活動を俯瞰しつつ、時代を錯綜しながら彼の歩みを語るファンタジー構造が、まず面白い。栄光だけでなく、負の時期も記録。コロナ禍での国をまたいでの移動を非難され、ヘコむ状況は、記憶に新しくに生々しい。
一方でD・ボウイやストーンズとの共演といった夢がかなった瞬間は、前を向いて夢を追い続けた姿勢に対するご褒美。もちろん、すべての夢がかなうわけではないが、本作の文脈でそれに接すると、夢がもたらす魔法を今一度信じたくなる。
複雑な構造の原作をどう映画化するのか?と思っていたら、なるほど。限られた時間内で描くべきことをソリッドに絞ってきた。
パンデミックとその解決法の模索、人間の間の絆と分断、生と死……現代に通じるそんな要素を原作から抽出。色彩を活かした映像により、それらのテーマは明快に迫ってくる。
削ぎ落したが故に大急ぎで物語を言葉で補完する点は、ファミリー向けのアニメーションとしては理解しづらくマイナスだが、そんな行間ゆえに大人の鑑賞に耐え得る作品となったのも事実。じっくり向き合えば向き合うほど、確かな歯応えを得られる力作だ。