略歴: アクションとスリラーが大好物のフリーライター。『DVD&ブルーレイでーた』『SCREEN』『Audition』『SPA!』等の雑誌や、ネット媒体、劇場パンフレット等でお仕事中。
近況: 『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』『探偵マーロウ』『ドラキュラ/デメテル号最期の航海』他の劇場パンフレットに寄稿。「シネマスクエア」誌にて、正門良規さんに映画とその音楽について話を聞く連載を開始。
映画『レット・イット・ビー』がリンゼイ=ホッグ監督の言葉どおり“素材はあるが物語がない”ものなら、本作はP・ジャクソンが同じ素材を使い、ビートルズの物語を探求した意欲作。
計470分の三部作だからメンバー4人の人柄や、ぎくしゃくした関係も見えてくる。もはや『~ヤァ!ヤァ!ヤァ!』の頃の無邪気さはない。“楽しみではなく仕事になってしまった”というジョンの言葉はバンドの終着点を示しているよう。
セッションを含めて楽しげな瞬間は何度もあるが、個々の考えの違いも浮き彫りになり、末期の哀愁が際立つ。フロドがホビット庄に戻れなかったように、彼らもビートルズにはゲットバックできなかったのだ。
ミュージカル映画としてのディズニーアニメの楽しさを再確認できる一編。
伝統的プリンセスストーリーのような、いかにも欧米風の空気は皆無。『モアナと伝説の海』からさらに南下し、南米コロンビアが舞台というのが面白い。一族の中でただひとり魔法を持つことができなかったヒロインの物語は、『みにくいあひるの子』の今風のアレンジにも見える。
家族のドラマとして整っており、ファミリーで楽しめる堅実な作品であることは言うまでもない。ラテンのエッセンスを取り込んだダンサブルな楽曲もディズニー作品には新鮮で、甘ったるいバラードに逃げない点に好感。
中年以上の大半は、年老いた両親と離れて暮らすことに何らかの罪悪感を抱いているはず。このホラーは、そんな心理の弱みを巧妙に突いてくる。
荒野や牧場の風景はもちろん音楽も不穏で、孤独な老父母の描写に引き込まれる。“帰ってくるなと言ったのに!”という母の言葉のミステリー、唐突に訪れる死の逸話など、畳みかける構成も巧い。
オカルトと心理スリラーの間を狙っており、どちらにも解釈できる内容。裏を返せば曖昧なのだが、両親と離れている筆者には、なんとも怖い映画であった。ホラー専門家ペルティノ監督のイイ仕事。やつれゆくヒロインの表情や、屋内の陰気な描写がこれまで以上にサエを見せる。
ホラーと謳ってはいるが、いちばん怖かったのはアバンタイトルで、本編そのものはユーモアが先行するつくり。
入江悠監督が『太陽』に続いて劇団イキウメの舞台劇を映画化。説明的なセリフが多いのはもちろん、クスッとさせるセリフの間や笑いも、そのまま引用。ドッペルゲンガーを扱うも中盤以降はホラーとしての機能が止まり、ファンタジー、さらには人間ドラマへと広がる。
ホラーらしいガチ恐いスリルを体感したい方には不向きだが、人間の情けなさに笑いを見出す入江監督らしさは妙味。祈祷をはじめとする韓国の文化やロケも活きて、日常のようでそうではない不可思議な雰囲気を楽しめる。
藤井監督作品らしい、人間の悪意の強烈さ。本作のそのピークとなる場面は強烈過ぎて目をそむけたくなったが、先には意外な結末が待っていた。
小劇団の公演の模様と、それに向かうまでの過去の物語が交錯する構成。密に絡んだそれは劇場内で起こることを暗示し、ときにミスリードしながら、見る者を翻弄。キャラクター間の感情のピンボールのようなぶつかり合いやすれ違いが物語をスリリングにする。
熱意あふれる若い劇団員たちの真実を明かすラストは『ソウ』のようなドンデン返しに通じるものが。しかし、藤井監督はさらに悪意を突き詰める。その突き詰めゆえに、本作は脳裏にこびりつく強烈な心理スリラーとなった。必見。