略歴: 1963年神奈川県藤沢市生まれ。高校時代は映画研究部に所属。1997年よりフリーランスのライターとしてさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。得意ジャンルはアクション、ミュージカル。最も影響を受けているのはイギリス作品です。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。
近況: 今年1月には放送映画批評家協会賞(クリティックス・チョイス・アワード)の授賞式に出席。ゴジラを手にしていた山崎貴監督とも写真を撮っていい思い出に。ビリー・アイリッシュやトム・ホランド、マーゴット・ロビー、スピルバーグなど間近で遭遇する夢のような時間でした。
サイト: https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohiroaki/
環境保護に関するテロ行為という設定はあるにせよ、社会派のノリは意識的に抑え、あくまでも犯罪ムービーのテイストを強調したことで、“観客を選ばない”仕上がりに。パイプライン爆破というシリアスな計画には、少々安易で短絡的な箇所もあり、そこが破綻しそうなハラハラ感がつねにつきまとう。このあたりも作り手の計算が見事に働いた。
計画に参加した8人の素顔や動機がじわじわ明かされる構成も巧み。終盤まで重要ポイントがベールに包まれ、映画的カタルシスも訪れる。
現在の物語のようで、スマホではなくガラケーが多用されていたりして、そんなアナログ感が、無名の者たちの行為に泥くささと無垢さを与えている。拾い物的な傑作。
トトロを連想させるブルーをはじめ、IF(イマジナリー・フレンド)のキャラクターデザインからして、カラフル&ポップな楽しさを予想させ、実際にそんなムードを基本にしつつ、中盤、後半と人生経験豊富な大人の観客のツボを突いてくる。不覚な瞬間に感動させる作劇に、監督クラシンスキーのセンス炸裂。ホラーもうまく撮ったが、王道のエンタメにむしろ本領があるような。
ミュージカル黄金期など名作へのオマージュ、美術やアイテムにノスタルジーの香りを濃厚にまぶすあたりも通好み。俳優では、デッドプールとは逆方向の“ちょっと変な感じ”を出すライアン・レイノルズに注目しながら観ると、ひときわ深く、優しく、美しい逸品と化す。
前作の「イカれて」「狂った」「突き抜けた」ノリは、わりと限定的。走行アクションの祝祭感も、あるシーンに凝縮されるが、そこを目にするだけでシリーズファンは歓喜だろう。今回はフュリオサの運命が丁寧に描かれ、そこがドラマチックに胸に迫ってくる作りが「マッドマックス」ワールドとして新鮮かも。涙の辛(から)さ、復讐の彼方に見える希望、荒野の孤独、母との誓い…随所に心にヒリつくポイントが。
子供時代もそっくり子役が演じてるとはいえ、どのシーンからアニャ・テイラー=ジョイに変わったか気づかないほどの自然な流れは驚異的。そして終盤は明らかにシャーリーズ・セロンの面影が重なるのは意図的ではなく映画の魔法だろう。
設定は一見、SFファンタジー。主人公たちが別時代にトリップ、あるいは生まれ変わっているようで、死後の世界も暗示されるが、システムや理由が論理的に説明されることがない。そうした作品のスタンスを素直に受け入れられる人には、ひとときの幻想に浸る贅沢な時間となるだろう。
小松菜奈、松田龍平の、どこか浮世離れした個性が作品にマッチ。特に龍平のうつろな目は完全に奇談の世界。田中泯の舞踏は時空を移動するスイッチとなり、日本映画でも珍しい佐渡島の風景も、異世界への入口としてふさわしい。
一方で過酷な労働や、子供たちのいじめ問題などシビアな現実が、物語にナイフのごとく切り込んできて背筋が凍る瞬間も何度か。
伝統的な世界に明らかに異質の人間が入り込み、対立や葛藤を積み重ねながら、やがておたがいを認め合う。そして主人公の生き方も大きく変わる…という、これまで何度も語られたドラマの常套だが、やっぱり感動してしまう映画のマジックが発揮される。ある意味、“裏切られない”真摯な一作。
監督の日本での経験、藤谷文子が参加した脚本、そして日本ロケによって、この手の作品にしては違和感が限りなく少ない。日・米のカルチャーギャップもスパイとして妙味。アメリカ側の俳優より、國村隼ら日本人俳優が作品にフィットしてるのも意外。何より、モンタナの雄大な自然をバックに馬を駆けるなど、映像美が素直に爽やかな気分へと導いてくれる。