略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
これは世評に違わぬ傑作だ。まず、1ショットごとの画力が凄い。よく「絵画のように美しい」と譬えられけれども、どこを切っても心かき乱すモーションピクチャーであることをやめない。何というか全篇に、“映画のエーテル”とでも名付けたい特殊な元素、媒質が充満していて、その蠢きに魅了されてしまうのだ。
そして、紡がれてゆくエモーショナルな物語。貴族令嬢と女性画家とのあいだで濃密な“視線の劇”が交わされていき、それは二人で造りあげた肖像画へと結実していく。が、終幕に待っているのは、「不動の視線」から生まれる強烈なパトス。最上の“映画のエーテル”を吸い込んで、後はしたたか打ちのめされ、陶酔するばかりだろう。
タイトルの“おろかもの”が示す世界像は、かのビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』(59)の名台詞「完璧な人間などいない」のバリエーションと見た。というか、本作の脚本家(=沼田真隆)はかなりのワイルダー映画好きではないか。『あなただけ今晩は』(63)の有名なパンチラインも出てくるし。
共同監督に名を連ね、カメラも手にした芳賀俊、並びに撮影スタッフの健闘が光り、優柔不断な男を巡る女たち──高校生の妹とフィアンセ、浮気相手という三者三様の“感情の揺らぎ”のドラマに引き込まれる。紅白(のドレスが象徴する)女と男の対抗戦に変革もたらす「青」のそれ! W主演、笠松七海と村田唯の疾走ぶりが目に眩しい。
次号のキネ旬にも書いたのだが、本作の脚本を共同執筆した細川岳と監督の内山拓也は『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)で頭角を現した頃のマット・デイモンとベン・アフレックを想起させ、その業績にも肉薄していると思う。そして劇中で藤原季節と細川岳が体現する「魂のリレー」、つまり主人公と心の友「佐々木」の関係性も『グッド・ウィル~』の二人にどこか近しく、激しく胸を衝かれる。
映画を動かす挿話として導入、同じく“フラッシュバック”を巧みに使ったテネシー・ウィリアムズの古典戯曲『ロング・グッドバイ』が実に効果的。歌舞いたラストは男達もイイが、紅一点、河合優実(のリアクション)がまたグッときた。
かの「オックスフォード英語大辞典」誕生に関わった、共にクレバーだがマッド要素も有す実在の2人に、「混ぜたら危険!」そうなメル・ギブソンとショーン・ペンをキャスティング。これが功を奏し、さらに周囲にエディ・マーサンほか巧みな役者陣を揃え、舞台設定の19世紀へといざなう衣装や美術も見応えあり。
驚くべき秘話と合わせて“言葉の力”に光が当てられ、一方、辞書にはラベリングできない、人間を突き動かす無意識、感情の不可思議さに迫ろうとした姿勢も良し。ただし、世界最高峰の大辞典のバックストーリーだけに、これは長尺向きだったのでは(例えば原作通りに、精神病院の院長の交代劇は描いてほしかった……)とも思う。
毎日1人以上──冒頭に我が国の、ここ10数年の過労死、過労自死の統計数が示される(厚生労働省資料)。だがこれは労働災害を申請し、認められた数。実際はもっともっと多い。つまりこのドキュメンタリー、本当に他人事ではないのだ。
あまりに酷すぎる会社に、静かに抗う「ゆきゆきて市井のひと」西村有さん(仮名)。対して、横暴さを募らせていく会社の上層部、保身で追随するしかない社員たちの姿は、 “改悛の情”を失った現在のダークなこの国の縮図そのものでやるせない。3年間もの闘いの末、西村さんがついに本名を名乗る瞬間をぜひ観届けてほしい。並走し続けた土屋トカチ監督とのやりとりは、まさにノンフィクションならでは!