略歴: 文筆稼業。1963年東京都生まれ。「キネマ旬報」「月刊スカパー!」「DVD&動画配信でーた」「シネマスクエア」などで執筆中。近著(編著・執筆協力)に、『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』(スペースシャワーブックス)、『寅さん語録』(ぴあ)、『冒険監督』(ぱる出版)など。
近況: またもやボチボチと。よろしくお願いいたします。
誰にでも残酷な優しさを発動する「大伴」と、そんな男を愛してしまった小悪魔「今ヶ瀬」の、心と体の輪舞(ロンド)を観ながら思う。人はなぜ、人を愛するのかと。もしかしたら受け入れてくれた相手を通して、自分自身を愛しているだけでは? が、行定監督は示す。物語の分岐点で映画『オルフェ』(50)を引用し、その深奥なる世界を──。
ベストキャストの大倉忠義と成田凌はまるで、止まり木にいる鳥のようだ(細身の成田が、膝を抱えて“あの椅子”に座るシーン!)。何を考えているのか、いつ飛び立つのか、それが見えないのがスリリングで、ずーっと眺めていられる。繊細な空間を構築した照明担当、松本憲人氏に哀悼の意を捧げたい。
タイトルに付いている「喜劇」とはもちろん、コメディであることを自ら標榜しているのだけれども、この映画のブチ切れ妻の「喜劇的状況」も指しているのだと思う。すなわち、ダメダメな男、売れない脚本家に一度は図らずも惚れ、結婚し、子供を作ってグダグダな毎日をやり過ごしている状況。本当は「悲劇」なのだが、そうは認めたくない「喜劇」。
だから妻がどんなに罵詈雑言を吐いてもそれは、夫を甘えさせてダメにしてしまった自分自身にも言っている。そんな夫婦の歴史、“理屈”ではない結びつき、そのねじれた「愛」と「憎」と「情」がドドドッと迫ってくる。むき出しの水川あさみ、ニタニタ顔の濱田岳、健気な娘役の新津ちせに拍手を!
顔だ。問答無用で雄弁なのは12年間にも渡る時の経過と、山あり谷ありの人生を刻みつけ、変貌してゆく被写体たちの「顔」だ(スケボー少年だったメインの3人だけでなく、彼らと深い関わりを持つ人々も!)。
路上での束の間の開放感。そして身体ごと対話し、掴み損ねた世界との接し方を再履修させてくれたスケボーの存在。その裏側には『mid90sミッドナインティーズ』でも示唆されていたように、社会の様々なGap(溝)が隠されている。それを見つめ、自らの心の傷にもカメラを向けた元スケボー少年、監督ビン・リューの“決意”と共に生成されていったドキュメンタリー。映ってはいない事柄、未来の行き先にも思いを馳せてしまう。
最初に浮かんだのは、青春期の「不安定な均衡」というフレーズだ。微妙なバランスで、しかしある種の万能感を伴って加速してゆく運動体。それがスケボーに乗った少年たちの、それぞれの“重心”のドラマでもって視覚化されている。なかでも撮影時11歳、主役サニー・スリッチのいたいけな魅力が半端ない!
監督・脚本のジョナ・ヒルは10代の頃を追憶しているが、ノスタルジーに浸っているわけではない。そういえば、若き彼もいい味出してた傑作『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(07)は、盟友セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグの自伝的な脚本作。これもまた当事者とって「撮らねばならなかった」通過儀礼的な映画なのだと思う。
音響を通して辿ってゆく映画の歴史──な~んてお堅いものではなく、数々の傑作、ヒット作のあのシーンこの場面のサウンドデザイン=「魔法の裏側」を明かしてくれる、楽しくて尊い逸品! フレームの中だけでなく、外側の空間や登場人物の意識内、さらには実在しないけれども存在する“音色”を創り出してきた匠たちに拍手を贈りたい。
当然言及されている一本、長編として世界初のトーキー作品『ジャズ・シンガー』の有名なセリフを借りてこのドキュメンタリーの効能を言うならば、「お楽しみはこれからだ!」。つまりは映画の聴き方、受け取り方が変わるということ。我らが“シネマッド”の和田誠さんにも観ていただきたかった。