ウルヴァリン:SAMURAI (2013):映画短評
ウルヴァリン:SAMURAI (2013)ライター8人の平均評価: 3.1
「アメリカ人の大好きな日本」がぶち込まれた親日ムービー
我が国の都心の路地裏。ウルヴァリンとヒロインのマリコが逃走し、敵から身を隠すためラブホに入ると、受付に流れていたBGMは何と、由紀さおりの往年のヒットナンバー「生きがい」だった! 悶絶。選曲的には珍妙。でも何か嬉しい。よくぞこの名曲を、って気持ちだ。由紀サンの海外進出は存じてましたが、ここまでスんゴイことになっていたか。
いや待て。劇中にはハロー!プロジェクトのシャッフルユニット、セクシーオトナジャンの楽曲「オンナ、哀しい、オトナ」、ヒップホッププロデューサー・DJ PMXによる「その時が来るまで… feat. K DUB SHINE」も。これらは本作のカオスさを物語っているのだった。
日本刀、サムライ、蝶々夫人風ヒロイン、闘う(アニメ的)美少女、ヤクザ、忍者、ロボット……ここには「アメリカ人の大好きな日本」がぶち込まれているわけで、それをほっこりと楽しむ映画。まあ、仇役で映画を引き締めている真田広之は、この座興に付き合い良すぎ……だが。個々のアクションは見応えあり。荒唐無稽だが芯はある。ジェームズ・マンゴールド監督の不可解かつ魅力的なフィルモグラフィーにまた新たな1本が加わった。
1周して再び…エキゾチック・ジャパン
海辺にある日本家屋で浴衣を着たローガンとマリコが…って、デジャ・ヴかと思った。『007は二度死ぬ』(67)のショーン・コネリーと浜美枝の偽装新婚シーンそのまんまだ。ハリウッドがイメージする日本は46年前と変わっていないのか。ここ最近『ラストサムライ』(03)、『硫黄島からの手紙』(06)と日本文化もだいぶ理解されてきたと油断していただけにガッカリする人も多いだろう。
それはハリウッド側だけでの問題ではないと思う。先日、ベネチア国際映画祭で、東映ヤクザ映画などにオマージュを捧げた園子温監督『地獄でなぜ悪い』が現地で、“『キル・ビル』へのトリビュート“と紹介されていた事にも通じるが、相手には映画史はおろか日本文化の知識や歴史がごっそり抜けているのだから致し方ない。ただ、そこを理解してもらう努力を促すことも日本側の責任でもあるのではないか。せっかく日本ロケが増えたと喜んでも、菊地凛子主演『ナイト・トーキョー・デイ』(09)とか珍品としてしか取り上げられない方も辛い。本作が、のちに続く日本を題材にしたハリウッド映画の反面教師になることを願うばかりである。
2人のヒロインへの日本人の抜擢は意義がある
『X−MEN』関連作の魅力は愛着のわく多彩なキャラクターにある。そういう意味では、ヒュー・ジャックマン全力投球のウルヴァリンは本作でも期待を裏切らない。一方でヒューとのガチンコ勝負も迫力の真田広之=シンゲンは、もう少し描き込んで欲しかった。
最大の収穫は、国際的モデルのTAOと福島リラの抜擢だ。TAO演じるマリコは静かな佇まいの中にも凛とした強さがあり、意志がある大人の女性像に好感が持てる。キャラ立ちという点では福島リラの女戦士ユキオが抜群で、身のこなしも軽く、インパクトのある外見にしゃべり方も愛嬌たっぷり。コテコテのアメコミの世界観にあって際立つ福島の個性にしびれた! 『SAYURI』を思えば、この2人の抜擢と健闘には意義があるだろう。
全体としてジェームズ・マンゴールド監督は、生真面目に日本の研究に注力したように見える。ただし、日本人から見ればロケ映像によるリアルな日常と『ライジング・サン』の愛人、別宅といった、まだそこ!?的な不思議の国ニッポンの融合は居心地が悪い。冒頭の原爆投下時のエピソードも含めて「これはアメコミの世界」と割り切って楽しむには努力を強いられる感は否めない。
仁義なき大活劇は“戦後ジャパンコンテンツ奇天烈大図鑑”
敬意も曲解も冒涜もないまぜにして、長崎原爆投下に端を発する戦後ジャパンコンテンツ奇天烈大図鑑的、不可思議で凄絶なカルト化必至の大活劇が産み落とされた。
永遠の命を持つ鉤爪のミュータントを、時代に取り残され主を失った「浪人」に重ね合わせて捉えている。日本人モデルから抜擢し、たおやかな女性と赫い髪の格闘娘を演じさせる冒険は危なっかしさの反面、新鮮に映る。地理的に無理のありすぎる仁義なき日本行脚に散りばめられた、ラブホ、風呂、パチンコ、ヤクザにニンジャ。疾走する新幹線でのリアリティ無きルーフ対決をピークに呆れ返りながらも、あらゆる日本のイコンをデザイン化して物語る妙技には感心しきり。アメコミ発日本アニメ経由のメカニック侍との容赦なきバトルの果てには、『パシフィック・リム』に欠けていたカタルシスさえ見出せる。
時代劇や任侠映画に学んだ異国情緒というよりも、『007は二度死ぬ』『ブラック・レイン』『ラストサムライ』というデフォルメ・ジャパンを経てメタ化された異世界だ。この“エスニックな和食”という奇妙なジャンクフードは、ツッコミを入れながら食すしかない。
『X-MEN』ユニバースだからこその“日本”
コミックが原作なのだから当たり前といえば当たり前だが、『X-MEN』関連作は基本的に劇画の世界、すなわちファンタジー。日本に舞台を移しても、それは揺らぐことがない。ここで描かれる日本も当然『X-MEN』世界の中の日本であり、現実の日本ではない。『ロスト・イン・トランスレーション』よりも、『キル・ビル』で描かれた日本に近い。
そのようなファンタジー世界でこそ、ウルヴァリンの活躍も映えるというもの。忍者やヤクザ軍団を相手に立ち回るアクションの見せ場は抜かりなし。とりわけ、走る新幹線の車上でのバトルは新鮮で、時速250キロ以上の速度に必死で逆らいながらの立ち回りは手に汗握るものがある。
一匹狼風情のヒーロー、ウルヴァリンが現代の浪人のようにとらえられている点も好感。日本人キャストでは、彼の相棒となる女戦士ユキオにふんした福島リラが『X-MEN』ユニバースに溶け込み、光っている。格闘演技の切れの良さや、棒術の熱演に見惚れた。
現実と似て非なる摩訶不思議なニッポン
孤高の超人ヒーロー、ウルヴァリンによるニッポン探検記。恐らく制作サイドは古い日本映画や文献などを真面目に勉強したのだろう。また、自分たちが目にした今の日本というものも積極的に取り入れようとしたに違いない。その結果、皮肉にも新たなハリウッド風エキゾチック・ジャパンが生み出されてしまった。
特に違和感を覚えるのは時代錯誤な人間描写。古風で控えめな大和撫子マリコ、マンガチックな現代的パンク娘ユキオという女性キャラの対比はいいとして、男性キャラはことごとく封建時代の侍社会や昭和のヤクザを引きずっている。どうやら、いまだに外から見た日本男性というのは、個人の意思よりも主君の命令を絶対視し、無口で何を考えているのか分からない暴力的な人々らしい。日本人は伝統を重んじる民族・・・という妙な先入観が生み出した大いなる勘違いだ。観光客的な視点で普段着の日本を捉えたロケ映像のリアル感と相まって、現実と似て非なる摩訶不思議なニッポン像を浮かび上がらせている。
なお、往年のイタリア産B級アクション映画で活躍した日本人俳優ハル・ヤマノウチの起用が個人的には嬉しかった。
まるで昭和のプログラム・ピクチャー!(褒めてます)
『パシフィック・リム』がクール・ジャパン系だとしたら、こちらは昔ながらのエキゾチック・ジャパン(笑)。しかしこの「古さ」こそ、ジェームズ・マンゴールド監督の持ち味だろう。ジョニー・キャッシュの半生を描いた『ウォーク・ザ・ライン』、西部劇リメイク『3時10分、決断のとき』、スクリューボール・コメディや巻き込まれ型サスペンスを応用した『ナイト&デイ』など、1950年代を中心としたオールドスクールな映画・文化への信奉が彼の核にあり、今回も時代劇への真剣なリスペクトに則ってSAMURAIやYAKUZAの活劇を丁寧に撮っている。
確かな腕の名職人が無国籍風のシュールな世界を手掛けたことで、あくまで結果的だが、これは昭和のプログラム・ピクチャー、それも鈴木清順や石井輝男などの奇才による魅力的な怪作・珍作を思わせる味わいとなった。長崎の原爆投下の日から始まる歴史軸の導入が、また「それっぽい」。もちろん現代ハリウッドならではのハイパー・ヴァージョンであり、特に新幹線アクションはかなり痺れる!
『X-MEN』シリーズは起用した監督の個性が活かされていて、どれも面白い。点数以上に色々と楽しいよ!
かぎ爪を持つ“ガイジン”はマリコ推し
前作『ナイト&デイ』で一皮剥け、もはや何でもアリ状態になったか、ジェームズ・マンゴールド監督。『ニューヨークの恋人』ではヒュー・ジャックマン演じる19世紀の侯爵を現代ニューヨークに迷いこませ、カルチャーギャップで笑いを演出したが、今度はヒューのハマリ役、ウルヴァリンを日本に潜入させた!
昭和の匂いプンプン、ヤクザ役の小川直也らから“野人”“ガイジン”と罵られるなか、カギを握るお嬢様・マリコを守りながら、確実に笑いを取っていくわけだが、TVゲームをプレイしてるような新幹線バトルに、「いい夢ホテル」なるラブホや大物政治家のお遊びのシーンの「日本人=ヘンタイ」を強調した悪意があるとしか思えない描写も、常に全力投球なヒューの演技でステキな仕上がりになっている。予想どおり中盤は『ラストサムライ』な展開で失速するものの、クライマックスには『ロボコップ3』のオマージュが用意。『マン・オブ・スティール』直後だけに、余計「これぞアメコミ映画!」と声を上げたい怪作だ。