北朝鮮の強制収容所を描く日本・インドネシア合作アニメ『トゥルーノース』の描く真実とは
映画で何ができるのか
朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の政治犯強制収容所の真実を描いた日本・インドネシア合作アニメ『トゥルーノース』が公開中だ。監督・脚本・プロデューサーは、長編アニメーションの制作は初となる清水ハン栄治。映画を通して人権問題を訴えるだけでなく、「人間にとって本当の幸せとは何か?」を問い続ける。(取材・文:中山治美)
エリート人生を登りつめたからこそ見えたもの
人々の生き方が多様化していく中、清水監督はその先端を歩んでいるのかもしれない。米国のマイアミ大学でMBAを取得し、ネットビジネスを立ち上げてセレブ生活を謳歌(おうか)していていたという。バブル崩壊で会社を整理して帰国し、大手外資系IT企業サン・マイクロシステムズ日本支社に勤務し、そこからリクルート社にヘッドハンディングされ、事業開発を担当。側から見れば、超エリートだ。
だが、そんな自分の生活を振り返る機会があったという。清水監督の著書「HAPPY QUEST」によると、隣の人と肩がぶつかるだけで殺伐とした空気になる満員の通勤電車内でのこと。車窓に映る眉間にシワを寄せた自分の顔を見て「これが、子供の頃になりたかった大人なのか?」と我に返り、そして自己嫌悪に陥ったという。
清水監督は「多分そのまま在職していたら、今ごろ、都心に近いところに一軒家を建てて、それなりに幸せにはなっていたと思うんです。でも『本当にやりたい仕事をやってるの?』と聞かれたら、『それができればいいんだけどね』と言いながら酒を飲んでいるおっさんになっていたかも」と語る。
そんなときに留学時代の親友であるドキュメンタリー作家のロコ・ベリッチから、「映画のプロデュースをやってみないか?」と連絡を受けた。それが世界16か国の人たちを取材しながら、心理学や脳医学の研究者とともに幸福度を高める鍵を読み解いていくドキュメンタリー映画『happy-しあわせを探すあなたへ』(2012)。清水監督はプロデュースも初なら、映画産業に携わるのも初めて。だが企画内容に賛同し、退職して再渡米した。
清水監督の人生を大きく変えた6年
清水監督は「多分ロコは、僕と友だちとして付き合っていく中で器用さや、アイデアをぶつければ変な角度で返していたので、良い相乗効果が生まれると思ったのかも。自分自身も企画を聞いて、ココとココをつないで良い人材と資金を投入すればできるかな? というぼんやりとした絵が浮かびました。あとは最後のエイヤッ! ですね。成功するプロジェクトというのは実行する人がある程度賢くあることと同時にバカになり切ることが大切」と持論を語る。
同作に携わった6年の歳月は、清水監督の人生を大きく変えた。人生の後半を本質的な幸せのみを追求することとし、独自のメディアプロジェクトを開始。ポジティブ心理学やマインドフルネスを研究し、NHKの白熱教室で「幸福学」シリーズのプロデューサー兼ナビデーターを務めた。また人権をテーマに、ダライ・ラマ14世らの偉人伝記漫画シリーズをプロデュースしている。
新たな企画を考えていたときに出会ったのが、人権団体の知り合いから話を聞いた『トゥルーノース』につながる北朝鮮収容所問題。内容に衝撃を受けつつ、在日コリアンとしてのアイデンティティーの問題を突きつけられたという。
清水監督は「幼い頃に祖父や祖母に『悪さをすると北の小山に連れていかれちゃうよ』と聞かされていた古い記憶が呼び起こされました。正直、在日とかコリアンの問題には関わりたくないと思っていたけど、今世紀最大の人権問題は避けて通れない。それに自由な立場にいる人間が、不自由な人を助けなければという変な正義感がある。それを芸術を使ってできないか? という思いがあります」。
製作費が少ないからこそアイデアで実現
『happy-しあわせを探すあなたへ』のときと同様に、思い立ってからの突破力と執念が凄まじい。心身共に極限状態を味わうことになる強制収容所の様子を、生身の人間で実写映像化することは難しい。そこで考えたのが3Dアニメーション。出資会社は見つからず自主制作となったため、製作費を抑えるためにインドネシアに移住し、動画共有サイトVimeoなどで目をつけたアジアの若手アニメーターを青田買いしていった。
構想から約10年。その間の自身の監督報酬はゼロだったが、「『トゥルーノース』の200~300本分と『アナと雪の女王2』が同じくらい」(清水監督)の製作費で収まったという。また世界のアニメ市場を席巻する“ジャパニメーション”とは違った文脈で登場した社会派アニメを世界が着目し、アニメーション映画祭で最大規模を誇るアヌシー国際アニメーション映画祭の長編コントルシャン部門に選出された。
長編アニメ制作は初めてだったが、清水監督は「今はネット上にあらゆるノウハウが上がっているし、無償で使えるソフトウエアもある。スタッフへの指示もネットでできるので、無理だという理由が少なくなってきている。あとは自分のワンプッシュ。本当に作りたいものがあったら、そんなに難しいことではないと思います」と語気を強める。
むしろ気をつけていたのは、日本のアニメーションの特徴を模倣しないことだったという。「日本のアニメを観ているとキャラクターの動かし方やアングルに特徴がある。この映画はそこをフォローするのではなく、実写映画のような映像を意識しました。モーションキャプチャースーツを買って、K-POPアイドルから、6歳の女の子の動きまで、僕の動きをアニメに落とし込んだシーンもあります。ある意味、(アニメ制作について)無知ってパワフルですね」(清水監督)。
3Dアニメ&VRを同時制作という挑戦
次回作の構想は、既にある。イタリア人の友人が執筆した本をベースにしたアニメで、犬の冒険物語だという。『トゥルーノース』からの飛躍の激しさを感じるが、清水監督の中では一貫したテーマがあるという。
「『happy-しあわせを探すあなたへ』は幸せとは何か? 『トゥルーノース』は生きる目的とは何か? 犬の物語では、神は存在するのか? 人間が生きていく上での普遍的な問いである3部作です」(清水監督)
新たな挑戦も考えているという。3Dアニメーションと同時にVRバージョンも一緒に制作するという試みだ。そこには、VRの課題でもある長時間視聴も可能な技術の改善と、長編にふさわしい人々を惹きつける物語の構築が必須だと考えているという。
さらに清水監督は「粛々と固定ファンが望む作品を作る方がビジネス的には安定していると思いますが、ある程度のリスクを取らないとホームランは狙えない。また世界中の優秀な若手アニメーターと組む予定。そうやって若手を育てていかないと、彼らがアルバイトをしながら映画を撮るなんて酷ですから」と語る。
幸せを追求する作品作りは、まずはその制作環境を整えることから。人の心に届く作品は、こうして生まれていく。