『出口のない海』市川海老蔵 単独インタビュー
戦争を知らない人たちに生きることの大切さを伝えたい
取材・文・写真:シネマトゥデイ
市川海老蔵の初主演作品『出口のない海』が、9月16日より公開される。今年29歳になる市川が海老蔵を襲名したのは、ほんの2年前。しかし、襲名直後に父・團十郎が白血病で入院し、海老蔵はたった1人で襲名披露をやり遂げた。そして、それから半年も経たないうちに彼が踏んだのは「映画」という新しい舞台だった……。新之助時代からの多くのオファーを断り続けてきた海老蔵が、ようやく主演を決意した『出口のない海』。28歳まで、スクリーンへの挑戦を待ち続けた理由、 そして、初めての主演映画への思いは……。「日本人が、知っておかなければいけない事実」を伝えるため、人間魚雷“回天”に命を賭けて乗り込む青年を熱演した市川海老蔵に話を聞いた。
映画初主演作に悲しくてつらい作品を選んだ理由
Q:本作の前にも、多くのオファーがあったと思いますが、市川海老蔵として映画デビューする時期をここまで待ったのはなぜだったんでしょうか?
初めての試みなので、きちんとした作品に参加したかったんです。確かに、これまでもいろいろなお話をいただいていましたが、これはやっぱり縁とタイミングで、結婚みたいなものですね。たまたま、すべてのタイミングがうまく合っていたんです。
Q:『出口のない海』を、デビュー作に決めた理由を教えてください。
やっぱり、最近の僕たちの世代って戦争を知らない人が多いですよね。もちろんそういう若い人に限らず、戦争という事実は、日本人が知っておかなきゃいけないことの1つかなと思うんです。確かにエンターテインメント性があって楽しい作品もいっぱいあるし、きれいな作品もいっぱいあります。そういう作品もゆくゆくは演じていきたいと思っていますが、戦争というつらい現実を生きざるを得なかった若者がいたということを、自分の演技を通して伝えたかったので、出演を決めました。
Q:実際に回天を目にして、どんな印象を持たれましたか?
棺おけ……、ですね。「これ、人が乗るの?」って思いました。僕は意外に体ががっちりしているほうなので、狭いんですよ。回天は、中からは絶対に開けられない構造になっているので、ふたをと閉められると「どうしようこれ、ほったらかしにされたら……。」と怖かったですね。でも、並木たちはそんな“回天”に乗らないと戦局は逆転しないと言われたんですよね。それでも「逆転なんてできないんじゃないか……」って心のどこかで思いながら乗っていったんじゃないでしょうか。複雑でしたね。
初めて“普通の人間”役に挑戦
Q:役作りをする上で、一番大事にした部分はどこですか?
これまで演じてきた役は、個性の強い役や人間離れしたような役が多かったんですが、今回はいたって普通の人間なんです。それが僕の中で、一番大きかったことですね。
Q:戦時下に生きる若者“並木”を演じてみていかがでしたか?
演じているときは、とにかく普通でいようと思っていました。たとえば武蔵を演じたときは、口調であるとか、いろいろな部分を強調していたんです。でも、今回の場合は逆にそういう強調する部分をカットして演じました。戦争中という状況に関しては、逆に意識しませんでした。あのころに生まれていれば、戦争に行くことは当たり前で、空軍に行くか、海軍に行くか、自分で決めて、そして赤紙がくれば行くという……。だから、彼らに迷いはないんですよ。僕たちの視点で見ると、戦争に行くことってすごいことなんじゃないの? っていう風に考えてしまうと思うんですが、彼らの視点で見れば、当たり前のこと。変に気負うことで余計なものが映りそうな気がしたので、なるべく自然に演じるように心掛けました。
Q:並木は赤紙を待たずに、自ら海軍に志願していきました。あの行動は、理解できましたか?
彼の取った行動というのは、本当にいろんなことが重なった結果だと思います。野球部の友だちが出征していったり、周りの環境も「行く」ようになっていたり……。どちらにせよ、いつかは戦争に行かなければならないですからね。彼の場合は戦争が終わるギリギリだったから、演じていてとても切なかったです。でも、そんな状況なんて、彼には分からなかったですもんね。
Q:主人公・並木の死について、どう思われましたか?
「僕は回天を残そうと思う」という言葉にあるように、彼はこの兵器を残すために死んだと思うんです。記念館などに行きますと、いろいろな手紙や資料が残っていますよね。彼の場合は、自らが回天に入って、いつかこの兵器を知ってもらうため、ある種のタイムカプセルに入るような気持ちで、死んでいったのではないのかな……と思います。
山ごもりで鍛え上げた精神力
Q:海老蔵に襲名して2年、こうして映画でも主演デビューを果たされたわけですが、役者としてのご自分に変化はありましたか?
襲名前、これは父が襲名したときにも、同じことを体験したそうなんですが、大峰山で修行をしたんです。どんなことをしたかというと、縄を背中に巻いて崖から落とされるんです。ただの縄なんでちょっと手を離すと落っこちちゃうんです。しかも、命綱は人が2人で持っているだけで、結構おっかない(笑)。やはり、あの経験をするのとしないのとでは、違うと思いますね。武蔵を演じていたときに、剣を教えていただく方に「いちばん大切なことは、平常心」と聞いたんです。例えば5メートルの幅の道を歩くのはなんら怖くはないけれど、その道の両側が絶壁だとしたら誰も歩けない。でも、5メートルの幅という気持ちを自分の中で持っていれば、渡れるんですよね。あの修行で自分の平常心がとても鍛えられました。並木を演じる上では、この精神はあまり役に立ちませんでしたが(笑)、役者として舞台に立ったり、カメラの前に立ったりしたときにとても大切なことを、あの経験から学べたと思います。
Q:話は変わりますが、並木の野球部時代の投球フォームが完ペきでしたね。野球の練習はされたんですか?
フォームがきれいなのは、先生が良かったんだと思います(笑)。僕は野球をあまりやったことがなかったので、撮影の1か月前から西武の鹿取投手にコーチしていただいたんです。本当は右利きなんですけど、左のほうがうまく投げられたりして……、よく分かんないですよね(笑)。左の関節のほうが柔らかかったみたいです。でも映画では、ちゃんと右で投げていますよ。
Q:では、この映画で野球に興味を持たれましたか?
あっ、甲子園(高校野球)は見ました。斉藤くんと田中くんの試合を見ました。ゆうちゃんね! いや、高校野球って、ぜんぜん見てなかったんですけど、あの試合は見ましたね。映画の撮影の前に見たかったなあって思いました。
未来のためにきちんと生きることが大切
Q:それでは最後に、本作に込められた思いをお聞かせください。
僕たちは、彼らの時代に比べれば、恵まれています。彼らの時代は、ご飯粒ひとつ食べるのが本当に大変だったんですよね。そんな時代があったからこそ、今の僕らがこんな風にありがたく日々を生かされている。そういうことを、やっぱりわれわれは認識せずに自然に生きている部分があると思うんです。今後日本はどうなるか分かりませんが、少なくとも今はいい方向には向かっていない。だから、自分たちの子ども、孫が幸せに人生を歩めるような日本にするためにも、僕たちがちゃんと生きることが大切だと思うんです。映画を観ていただいたことで、そういう気持ちを見つめ直すきっかけになればいいと思いますね。
“歌舞伎界のプリンスの初主演映画”、聞くだけで華々しい映画が想像されていたにもかかわらず、彼が選んだのは、つらく悲しい歴史を描いた作品だった。しかし、日本人が忘れがちな歴史を伝えるために出演を決めた、海老蔵の決断に迷いはなかった。歌舞伎界の未来を背負っている男だからこそ、彼はこの作品を選んだのかもしれない。自らが語った通り、いつものアクの強い演技を抑え、静かに死を受け入れる青年を熱演した彼は、新之助時代には見られなかった自信にあふれていた。歌舞伎という舞台に、幼いころから立ち続け、常に平常心で演じ続ける成田屋11代目市川海老蔵。彼にとって、役者人生とはまだ始まったばかりなのかもしれない。
『出口のない海』は9月16日より全国公開。