『蟲師』オダギリジョー ヴェネチア国際映画祭 現地単独インタビュー
無理にしがみつかず流れるまんまでいいんじゃないかな
取材・文:中山治美 写真:(C) Jean-Louis TORNATO
8月30日から9月9日までイタリアで開催された、第63回ヴェネチア国際映画祭のコンペ作品として出品された『蟲師』(むしし)。漆原友紀の同名コミックを実写映画2作目となる大友克洋監督が映画化したSFファンタジーだ。本作品の公式上映のためにヴェネチア入りしたオダギリジョーに出演作のことや現在の心境について現地で話を聞いた。
2作品同時期に撮影
Q:『ビッグ・リバー』でベルリン国際映画祭、『ゆれる』でカンヌ国際映画祭、そして『蟲師』でヴェネチア国際映画祭と、一年間で三大映画祭を制覇。オダギリさんが赤じゅうたんを歩く姿は、『アカルイミライ』がカンヌのコンペティション部門に出品された時から見ていますが、あの時は、目がキョロキョロと泳いでいて……。舞い上がっていましたよね?
ええ。あの時のことはほとんど覚えていないですから(苦笑)。今回は気持ちが楽でしたよ。ヴェネチアは雰囲気が良くて。カンヌはあまりにもカメラマンと観客の数が多くて、ストレスになります。
Q:公開作が相次いでいるのですが、『蟲師』の撮影をいつの間にしていたのですか?
去年の夏ぐらいですね。ちょうど今頃撮っていました。『ゆれる』の前……いや違う。『蟲師』の撮影がちょっと押して、『ゆれる』がカポっと間に入っちゃったんですよ。だから、一か月間、『蟲師』の撮影を抜けて、『ゆれる』を撮ってからまた戻って来ました。
Q:えっ!? そんな状況の中で、良くあの緊迫感溢れる心理劇『ゆれる』が撮れましたね。
合間ですもんね。僕もビックリしましたよ(笑)。
Q:『ゆれる』は兄弟のきずなで揺れるカメラマン役で、『蟲師』は虫の生態を研究し、人智に及ぼす影響を紐解いていく役。まったく異りますが、気持ちの切り替えはできるんですか?
どちらかというと『蟲師』は時代劇だし、感情の動きがあるシーンが少ない。その抑えていた感情を『ゆれる』の現場へ行って爆発させていたという感じで、逆に良いバランスができていましたね。
あの『AKIRA』の大友克洋
Q:『ゆれる』は20歳代最後の代表作にしたいと出演したと言っていましたが、本作品は? やはり“世界の大友”に引かれたんですか?
そうですね。大友さんは嫌がりますけど、一度、あの『AKIRA』を作った人と一緒の現場を経験したいと思いました。大友監督の漫画は、“超能力”というと安っぽくなってしまうけど、“人間の使われていないエネルギー”を扱う作品が多いと思うんですけど、『AKIRA』は僕の中でそういう題材の作品を見た初めての経験だったんです。
Q:大友監督はなぜこの漆原友紀さんの原作を選んだのか多くを語りませんが、今、オダギリさんが言った“人間の使われていない~”という言葉を聞いて、なるほどと思いました。
多分、そういうことなんだと思います。主人公ギンコの、目に見えない蟲が見えるという不可思議な力に興味を持たれたんでしょうね。
Q:大友監督からはギンコを演じるに当たり、事前に何か参考にすべき事柄などの提示は?
全くなかったですね。ただ、“蟲師”という仕事は漆原さんのオリジナルですが、かつて、日本の山地を漂泊し、竹細工などを売り歩いて暮らしていた方たちに、ニュアンス的に近いという説明を受けました。彼らは独特の隠語を使っていたようで、それを劇中の蟲師たちの会話で参考にしたと。だからと言って、その方たちに実際に会いに行ったというワケではないのですが。
Q:原作は知らなかったそうですが、実際にギンコという役にどのように取り組みましたか?
それが、原作の漆原さんがですね、僕が出演していたライフカードのCM「モンゴル編」を見て、「ギンコはこの人だ」と推薦してくれたらしいんです。そのCMは、僕がただモンゴルで、マントを羽織ってボーっと立っているだけだったんですけど、だから「あの雰囲気を醸し出せたらいいんだ」と迷いもなく取り組めました。
Q:どんな役でも演じておくものですね(笑)。
そうですね(笑)。
Q:アニメ出身の大友監督の演出は独特なのでしょうか?
とにかく“間”を取るんですよ。「セリフをゆっくり言ってくれ」とか、「セリフとセリフの間を延ばしてくれ」とか、芝居の事よりもタイミングに関することが多く、そういう演出は初めてでした。大体、どの監督も“間”を縮めようとするものなので、それはすごく印象に残っています。撮影している時なんか、普通、1分ぐらいで終わるシーンが3分も4分もかかるから、これは上映時間4時間以上になるんじゃないかと思っていたんですが(笑)。でも出来上がった作品を見て、この作品全体にゆったり流れる空気というのは、そういう“間”から生まれるものなんだなと納得しました。監督は、そういうのを狙っていたんでしょうね。
肩の力が抜けてきた
Q:ロケ地が人里離れた山奥だったそうで。
滋賀県の琵琶湖周辺だったんですけど、機材とかヘリコプターで運んでいましたからね。僕ら役者も、森を登ったり下ったり。しかも真夏なのに冬の衣装だから、ギンコの白塗りメイクが落ちないようにしなきゃいけなくて。あとは蚊とか、虫との闘いでした。
Q:劇中以外でも本物の虫と格闘を(笑)。
ヒルですよ。水に入るシーンが結構あって、その度にヒルに噛まれて血が出て(苦笑)。
Q:それにしても、この作品といい、現在撮影中のベストセラー小説の映画化『東京タワー』といい、1作1作がすごく中身の濃いものになっているように感じます。
そうですか? 自分ではそれほど意識してないんですけど。
Q:それに反し、端から見ていて思うのは、『ゆれる』にテレビ朝日系ドラマ『時効警察』そして『蟲師』と、演じているオダギリさんの肩の力が抜けてきたように感じます。
そうですね(苦笑)。
Q:役との向き合い方が違ってきたのですか、それともカメラの前に自信をもって立つことができるようになったのでしょうか。
いや、多分、どうでもいいんでしょうね。
Q:“どう映る”、“どう撮られる”ということに対して?
ええ。昔から良い芝居をしなきゃという意識はあんまり持たないようにはしていたんです。でもまぁ、やっぱりね、10年ぐらい芝居にかかわってきて、ふと「良い芝居をしたところで、僕の人生は充実するんだろうか。もっと幸せになることは他にもあるんじゃないか」と思ってきて。芝居に対してのガツガツさ、この役をどうにかして、どうかしてやろうという気持ちがなくなったんですね。
Q:自分の芝居だけにのめり込んで、周囲が見えなくなっていた時期もあったんですね。
そうですね。根本的にこういう仕事ってどんどん飽きられていくしかないし、飽きられたら飽きられたでいい。それは、『蟲師』のテーマにもつながると思うけど、流れるまんまでいいんじゃないかなと。別に、役者という職業にしがみつかなきゃいけない気持ちも全くないですし。日本って平和だし、良い国だからどうにか生きていけるじゃないですか。良い芝居をすることよりも、良い人生を送る方が大切だなと思って。
Q:それが芝居に良い具合に反映されています。
良い反映のされ方だと良いんですけどね。「肩の力が抜けて」と良い風な捕らえ方だと良いんですけど、「やる気がなくなった」と言われるとマズイんですけど(苦笑)。
Q:では今秋、2002年製作の映画『HAZARD(ハザード)』(園子温監督)が公開されますけど、昔の自分を見るのはちょっと恥ずかしいですか?
決して映画を観るのはイヤじゃないんですけど、恥ずかしいですね。『アカルイミライ』の後ぐらいに撮ったのかな? 顔ももちろん若いんですけど、芝居もすごく若いんですよ。やっていることが若い。でも一生懸命という感じで。
逝去したカメラマンへの思い
Q:ちなみに、役者以外での楽しみは見つかったんですか?
いろいろやりたいことが多いんですよね。せっかくの人生だからいろいろ楽しみたいし。前々から音楽もやっていますし、映像を作るのこともやりたいんですよ。
Q:残念なことに、その転換期となった『ゆれる』のカメラマン高瀬比呂志(享年50)が脳梗塞のために、ヴェネチア映画祭期間中の7日に亡くなりましたね。
本当にまだ信じられないんですけど……。高瀬さんには映画『プラトニック・セックス』(2001)で初めてお会いしたんですけど、あの作品は初めて本格的に映画に出演したような作品で、本当に自分のことしか見えてないような頃だったんです。そして『ゆれる』で再会したんですけど、あの頃の自分を一番知っている高瀬さんがカメラマンだというのが一番のプレッシャーだった。「成長した自分を見せなきゃ」という気持ちも生まれますしね。本当はそんな気持ちは、芝居にとって邪魔なんですけど。でもやっぱり高瀬さんに「成長したよな」とか「良い芝居をするようになったな」と思ってもらいたい。だからあの演技は、高瀬さんに投げかけていたような部分があるんです。
Q:高瀬さんは何か言葉をかけてくれましたか?
いや、高瀬さんはそういう明らかな言葉はくれなかったような気がします。でも撮影の合間に一緒に過ごした時間の中でそういう高瀬さんの気持ちは少し感じられたと思っています。
Q:でも映画を見たら高瀬さんの愛情は感じますよね。あんなに役者の良い表情を捕らえてくれて。
ええ、そうですね。
オダギリさんは帰国後、成田空港から高瀬さんの告別式に直行しました。改めて、日本映画界に大きな功績を残した高瀬さんのご冥福をお祈りします。
『蟲師』は2007年春、全国松竹、東急系にて公開。