『青い鳥』阿部寛&伊藤歩 単独インタビュー
優しい心というのは誰でも心の底にあると思う
取材・文:平野敦子 写真:高野広美
いじめで自殺未遂を図った生徒のいたクラスに臨時で赴任する教員と生徒たちの心の交流を描いた映画『青い鳥』。いじめの傍観者となった生徒たちが自分たちの犯した過ちの重さに向き合うまでを丁寧に描く。重松清原作の短編小説「青い鳥」を映画化した本作で、きつ音の教師という難しい役に挑んだ阿部寛と、戸惑いながらも彼を支持する新米教師を演じた伊藤歩。彼らが感じる教師の存在の大きさや大切さ、いじめや教育問題について自身の体験も交えながら熱く語ってくれた。
生徒たちの純粋なまなざしに圧倒
Q:きつ音の村内先生を演じる上で苦労されたことはありますか?
阿部:僕は今回初めてきつ音の役をやらせてもらったんですが、思ったより難しかったです。規則性が多少はあるんですが、言葉が引っ掛かるという部分に感情を入れていくと、本来ならば10秒で済むセリフが20秒、30秒になったりするんです。そこにあまり重点を置いてやっているといけないと途中で気付きました。だから最初は村内先生を重度のきつ音で演じていこうと思ったんですが、そこはあまりやらない方がいいかと、途中で監督と相談し合ったりして、ずいぶん苦労しましたね。
Q:村内先生に人として惹(ひ)かれていく島崎先生を演じた感想について教えてください。
伊藤:多分、村内先生がいらっしゃる前までは、中学校全体が抱えている問題をどこか、なかったことにしようというか、大人としての理解を強いられている中で、島崎先生は新米教師として「それでいいのか!?」というところに立っていたと思うんですね。そこに村内先生が現れて、惹(ひ)かれていくというよりも、この人だったら学校全体の問題だけではなく、島崎先生が人として抱えているモヤモヤをどこかで導き出してくれるんじゃないかということをすごく感じたんだと思います。
Q:もし俳優をやっていなかったら先生になっていたと思いますか?
阿部:大変だと思いましたよ。やはり子どもたちはとても繊細(せんさい)だし、多感な時期だし。そういう40人近い子たちの前に今回僕は村内先生として立ったんだけど、やはり目がすごく純粋なんですよ。その分ものすごく問われている気もするし、何かを求めているような、ごまかしがきかない、複雑な子どもたちの感情がある。先生方はその中で立って、指導したりリーダーシップを取り、いじめの問題が起きたり、さまざまなことが起きて、それを受け止めていかなくてはならない。ものすごくパワーというものが必要になる。僕では無理だと思います(笑)。
伊藤:この映画に入る前に、恩師のいる学校にいろいろお話をうかがいに行ったんですね。その先生は本当に教えることが好きで、子どもたちと一緒にいるのが大好きなんです。ただ、やはり子どもたちが抱えている問題はたくさんあるわけで、一人の人間が成長する中で大切な存在である先生が、どれだけ子どもたちにとって重みがあるのかということを考えたときに、とてもじゃないけれどわたしにはできないと(笑)。先生というのは人生を左右する存在なので、そこまでの責任を負うことは自分にはできないというのが正直な感想です(笑)。
グレかけた阿部を救った新任教師
Q:これまで教わった中で印象に残った先生はどんな人ですか?
阿部:中学のころ、まだ教師になって2、3年目の男の先生が担任だったんです。僕は当時ちょっとグレかけたことがあったんです。そのときに先生が「どうしたんだ?」って本気で心配してくれて。顔を真っ赤にして泣いて。この映画もそうだけれど、本気の言葉とか本気の態度というのは、やはり心を打つんですよね。その先生の本気の姿というのが今でもすごく記憶に残っています。
伊藤:わたしはちょうど中学3年生のときに受験と『スワロウテイル』という映画の撮影が重なっていて、ろくに勉強もできなかったんです。でも、自分は映画の世界で仕事をしていこうとどこかで思っていたので、受験に対しての熱意がまったくなくて。何校か受験しても、テストを受けた段階で全然できていないのが自分でもわかっているわけですよ(笑)。それで先生に相談したところ、落ちても落ちなくても受験だけはしろと。最初から何もやらないよりは、やった方がいいとアドバイスをいただいたんですね。それで受けてみたら自分のレベル以上の高校に受かって高校に行けることになったんですが、その先生がそう言ってくれなければ多分高校にも行っていないだろうし、その一言に今も感謝していますね。
根深い、いじめ問題
Q:いじめについて考えていることがあれば教えてください。
阿部:やはり難しい問題です。子どもたちの間だけではなくて、大人の社会でもそうだし。例えば生徒だったら1年間同じ教室で過ごさなければならないというときに、逃げ場がなくなるわけじゃないですか。そこでその子以外40人を巻き込んで、誰からの救いの手もなしにからかったり、面白がったりする中で、それがずっと続くことでいじめに発展したりするでしょう? そうやって自分たちが生きやすいように相手の居場所をなくしていくというのはとても残酷なことだと思うし。やはりそのことに気付くことが一番大事じゃないかと思う。そこを教師が教えて、一人一人が考えていくしか救いはないんじゃないかと思いますね。人って、やはり基本的には人に対して優しくしたいという気持ちが心の奥底にあると思います。自分の心の底にある優しさのようなものを年齢問わず、振り返る必要があるんじゃないかと思います。
伊藤:実際わたしもこういう仕事をしていて、ちょっとしたいじめに遭ったこともあるんです。でも、受け止める側の気持ちというのは相手にはわからないというか、その人の精神レベルにもよるというか。13歳、14歳というあの年代で相手の気持ちに立つというのは本当に難しいことだと思うんですよね。しかも一つの流れができてしまうと、みんなそこに順応していかなければならないし。そこで一番大切なのは、先生だけの問題ではなく、親がどういう風に子どもに対して教育をしていくのかということだと思うし。大人の方が考えるべきことを子どもってどこかで感じると思うので、そこを本当にちゃんと考えてあげられる大人の社会ができたらいいんじゃないかと思いますね。
Q:では、最後にこれからこの映画をご覧になる方々にメッセージをお願いします。
阿部:繰り返しになりますが、優しい心というのは誰でも心の底にあると思うし、人に優しくしたいという気持ちもあると思うんだけれど、いつの間にか社会で生きていくうちにそれを隠さざるを得なかったりして、荒れていったりするんです。でもこの映画に触れて、自分の心の底にある優しさとか人間らしさとか、そういう部分をもう一度見つめ直してみてほしいと思います。
伊藤:この映画って、ここを描いていいのだろうかというぎりぎりの部分を描いていると思うんです。きつ音の先生という存在だったり、もうすでにいじめをしてきた生徒たちの存在ということをもっと深く掘り下げた作品を今までの映画では見たことがないんですね。そこから目をそらすのではなく、その部分をぜひ見ていただけたらうれしいです!
シブい声で淡々としゃべる阿部と、明るく軽やかな声で話す伊藤は一見対照的に見えるが、彼らはインタビューが始まる前から仕事の話や、プライベートの話題で盛り上がっていた。その楽しげな姿に、この映画に登場するきつ音の村内先生と、新任教師の島崎先生の関係にも通ずる親近感がにじみ出ていた。いじめという重いテーマを扱った作品にありがちな上からの視点で物を見るのではなく、先生と生徒が本気でぶつかり合う人間くささがこの作品の見どころの一つだ。人が人として生きていく上で大切な相手を思いやる心や、それをきちんと表現することの大切さをぜひともこの機会に再認識してもらいたい。
『青い鳥』は11月29日より新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほかにて全国公開