『私は貝になりたい』中居正広 単独インタビュー
「これがあるから中居だ!」って言われるものを探しています
取材・文:鴇田崇
1958年に制作され、日本ドラマ史に残る名作として誉れ高い「私は貝になりたい」が、初見から50年の時を経てスクリーンに復活した。日本の美しい四季を追い、夫婦のきずなを強調した脚本にも注目が集まる中、愛する妻や子どもたちと理不尽な引き裂かれ方を余儀なくされる主人公・清水豊松に挑んだ中居正広の迫真の演技も話題だ。そんな彼に、壮絶な役作りや全国を回って行われた宣伝活動など、本作に懸けた思いを聞いた。
世界は無理でも人の心は動かせるはず
Q:主演を務めるにあたって、どのような意気込みで臨まれましたか?
福澤監督が一年の四季を追いかけたいということで、長丁場の撮影だったんです。僕は半年程度でしたが、ドラマ、舞台を考えても、この期間は短い方ではないと思います。なので僕にとっては、気持ちを切らさないようにすることが大事でした。確かにモチベーションの維持は難しかったですが、やるしかない状況に自分を追い込みました。疲れたとか無理とか言っていられないような状態でした。
Q:プレッシャーはありましたか?
不安はありました。「私は貝になりたい」は名作で、しかも今回は大作であるという意識で撮影に臨みました。それこそ、福澤監督にしがみつきながら、福澤監督の思い描いているイメージにとにかく近づく努力を重ねました。僕が演じた清水豊松が体験するような、不条理で理不尽な思いをしている人が、今も世界のどこかにいるかもしれません。僕は本作で世界を動かせるとは思っていませんが、人の心は動かせると思っています。
Q:妻役の仲間由紀恵さんと共演された感想は?
僕は仲間さんと結婚しているわけではないので(笑)、役として夫婦を演じることは難しかったのですが、演技をする上で非常に助けていただきました。それと、僕が坊主になるシーンで本当に仲間さんに刈っていただきながら思ったのは、夫婦のコミュニケーションは大事だということです。もし実際の夫婦の方々が『私は貝になりたい』をご覧になるなら、もう一度夫婦のきずなを見つめ直す機会にしていただけると思います。
精神的に自分を追い込んだ減量生活について
Q:徹底した減量・役作りにかんして、どんな思いで役の準備をしていたのですか?
とにかくお腹が空きましたね(笑)。もし1回でも食事をしてしまったら、次も食べてしまう自分がいることを自覚していました。なので、もし食べるのなら人前で食べようと。自分の家とか人前じゃない場所で食べることだけは絶対にしないと決めていました。結果的には、まったく食べなかったので、ひたすら我慢をするだけでした。
Q:その間、ほかの仕事との両立は大変ではなかったですか?
ちょっとしたことでイライラし始めて、これには焦りました(笑)。ただ、イライラしていることを顔に出したり、口に出したりすることをしないようにコントロールができたんです。それと空腹になると、滑舌(かつぜつ)が非常に悪くなることに気付いて驚きました。最終的には9キロの減量になりましたが、野球でもそうですけど、僕は監督の言うことは絶対だと思っています。監督の指示に従わないと、僕だけでなく、チーム全体がよどんでしまうと思いますし、いい作品を作れないような気がします。
Q:最終的には福澤監督から「食を断ってくれ!」と言われたそうですね。
僕が家族に手紙を書くシーンは、福澤監督の思い入れが一番強いシーンだったということで、撮影の直前に食を断ってくれと言われたんです。水分とビタミンゼリーだけを口にして、糖分も何日かに一度は採っていました。撮影直前の10日間は本当に辛かったですね。最後にもう一つだけ課題を自分に課したくて、撮影前夜は徹夜をしました。本番前には眠気も空腹もまったくなくなって、意識だけもうろうとしている状態を作り出せることができました。
Q:そのすさまじい努力のおかげで、豊松の怒りが見事に体現されていました。
あのシーンだけは、とてつもない怒りを表現したんです。豊松は家に帰りたいと独房の仲間たちに愚痴をこぼすことはあるキャラクターですが、手紙を書くシーンに至るまでのセリフの中で一言も戦争反対と声高に叫ぶことはしないんです。なので、福澤監督は、その手紙を書くシーンで豊松の思いをぶちまけて、訴えてほしいと言われていました。あのシーンだけ「よーい、スタート!」ではなくて、全部スタンバイしてから僕が現場に入って、僕のタイミングで演じさせていただいたんです。
俳優・草なぎ剛と共演したという妙な感じ
Q:全国宣伝行脚キャンペーンの手ごたえはいかがでしたか?
『私は貝になりたい』を観て、親に電話しましたとか、家に帰って奥さんをそっと抱きしめましたとか、3人子どもがいらっしゃる方で、いつもは別々だけど3人一緒にお風呂に入りましたとか、そういうお話を聞くと作品が持っているメッセージが伝わって良かったと思いました。
Q:全国28か所、403媒体の取材をこなされ、終盤でインターネット媒体の取材となりました。
あまりゆかりがないので(笑)、変な感じがします。日常的には携帯のメールもしない人間なので、インターネットカフェに行けば読めるんですよね? 取材は本当にものすごい数をこなしたと思います。
Q:SMAPのメンバーから何かリアクションはありましたか?
今回に限らず、あまり感想を言い合ったり、ダメ出ししたりとか、そういうことは普段からしないですね。本作には草なぎ君も出ていますが、一俳優として出演依頼をいただいて、彼も承諾したんです。俳優としての草なぎ君と共演したという感じです。バラエティーのコントとはまるで感覚が違って、普通の俳優さんと共演している妙な感じでした(笑)。ワンシーンほどの共演ですが、完ぺきに彼の演技に圧倒されてしまったというか、飲まれそうになってしまったほどでした。
たった一つ打ち込めるものを模索中
Q:6年ぶりの映画出演、俳優としても2004年の「砂の器」出演以来ですが、演技の感想は?
主役を張るっていうことは、相当大変なことでした。今こうして4年間のスパンを経て考えると、演技が好きか嫌いかはともかく、演技に対して不安があったのかもしれないです。だからこそ、減量するなり役作りを徹底して行ったという裏返しの事情もあると思います。クランクアップしたときは、異様な疲労感と達成感があって、人生で初めての感覚に陥りました。それぐらい、全身全霊で挑ませていただきました。
Q:今回の作品はご自分にとってどんな位置づけですか?
野村克也監督の本に“野村-野球=ゼロ”という方程式がありますが、これを僕に置き換えると、“中居-演技=ゼロ”ではないわけです。“中居-バラエティー=ゼロ”でもない。演技も歌も踊りもMCもコントも全部大好きなので、ゼロにはならないんです。ですが、将来的に“中居-○○○=ゼロ”になるものがほしいんですよ。“これがあるから中居だ!”って言われるものがほしい。そういうものを探すために、いろいろなことにチャレンジしているような気もしますね。
Q:最後に本作を通して、俳優として、そして中居正広として得たものを教えてください。
俳優としては、『私は貝になりたい』が自分のプロフィールに太字で書かれるほどの代表作になるかもしれません。ですが、次の出演作が代表作になるように今後はもっと頑張らないといけないと思っています。中居正広としては、家族や戦争というテーマに関して、意識が変わりました。恵まれた便利な時代に生まれて、あらゆることが簡単に手に入ってしまう反面、逆に粗末にしていることが増えたような気がします。自分も含めて襟を正すといいますか、改めていこうと感じました。『私は貝になりたい』を観た方に少しでもその思いが伝われば、こんなにうれしいことはないですね。
俳優として並々ならぬ決意で『私は貝になりたい』に臨んだことを明かし、また、好きな野球に例えながら、俳優・中居正広としての自己評価や、仕事に対するスタンスまで語ってくれた中居。至って謙虚な姿勢が印象に残ったが、本作での迫真の演技には、誰もが彼の俳優としての姿に改めて驚かされるに違いない。もともと定評があるシリアスな演技力も含め、今後のスクリーンでの中居の活躍にも期待したい。
(C) 2008『私は貝になりたい』製作委員会
『私は貝になりたい』は全国東宝系ほかにて公開中